デフレの真犯人

昨日の日経朝刊・3面の「デフレの真犯人は?」には考えさせられました。


この記事では、日本以上に需要不足のはずの米国で物価上昇が続くことから、その違いに「真の原因」を
求めようとしています。
そこから次の3つの「構造問題」を指摘しています。


 1)消費者や企業の物価見通し
    米国に比べて日本は常に低いとのこと。
    消費者も企業も、いつも物価は下がるとの“マインド”をもつから、個人消費も設備投資も旺盛
    にならず、その結果、物価下落の悪循環が続くとされています。
    ただ、この見方は、幾分「鶏が先か?卵が先か?」的な捉え方のような感じもしますが・・・


 2)賃金のあり方
    米国では人員整理はするが、“残った”人員の賃金はある程度を維持する。しかし、日本は、
    雇用を維持する代わりに賃金を下げる傾向がある。米国では、この結果、一時的に失業率が上昇するが、
    新規事業への投資が増えて新たな雇用が生れる。これに対し、日本では不採算事業が温存されることと
    なり、「賃金低下→消費意欲の減退」が“持続”する、なのだそうです。
    米国の労働市場がこのような回復力(?)をいつももっているのか、私は“検証”の術をもっていませんが、
    この指摘の通りだとしたら、「企業のダイナミズムの違い」という日米の構造の相違は言えると思います。


 3)為替の問題
    当然といえば当然ですが、米国より輸出依存度が高い日本では、「円高→競争力低下→賃金の低下→
    消費意欲の減退」となる、とのこと。
    これは明らかに言えると思います。


以上の見方が正しいとして、「ではどうするか?」を考えることになりますが、3つの中、1)2)は政府が
どうのこうのと言ってもやっても、すぐに変わるような問題ではないと思います。


とすると、“即効薬”となるのは、金融政策による「円安」なのでしょうか?


短期・中期・長期に分けた「傾向と対策」の重要性・必要性を改めて感じた次第です。

「学習療法シンポジウム」に参加して

20日パシフィコ横浜で開かれた学習療法シンポジウムに参加してきました。


学習療法は、読み・書き・計算を行うことで脳を活性化し、それによって認知症のリハビリ・
予防を行うという認知症対策の画期的な手法です。
脳トレ」でおなじみの東北大・川島隆太教授らが中心になり、脳科学の観点から、この
手法についての研究が行われ、全国の多数の施設等で改善効果が確認されています。
*厳密に言うと、「学習療法」は認知症のリハビリのことを言い、認知症予防は「脳トレ
 などと呼びます。


私と学習療法の出会いは、9年前に川島教授の講演を聴いたことがきっかけです。
早速川島先生にコンタクトし、翌年には、くもん学習療法センターの力を借りて、自分の住む
豊島区への導入にこぎつけました。
もっとも、当時はこの学習療法など、介護・健康の先進自治体になる潜在力をもっていた豊島区
も、その後のフォローがはかばかしくなく、今は「普通の自治体」になっているのではない
でしょうか?


それはともかく、近年は、昨年の豊島区長選に立候補したこともあり、私にとっては久しぶりに
「学習療法三昧の一日」でした。
多くの新鮮な気づきがあったのは大きな“収穫”と言えます。


1.学習療法は着実に全国に拡がっている!


  以前は、“脳トレ”・“川島効果”(先生、すみません)で注目は集まっていましたが、
  実際に介護現場で取り組むところはそんなに多くはなかったと思います。
  ところが今回は、全国のいくつかの地域の「地域ネットワーク」が紹介されているなど、
  「点が、面になってきた」といことが、実感としてわかりました。


  これはやはり、「手法としての優位性」をより多くの方が理解してきたからだと思います。
  学習療法を行うと、認知症の高齢者の方に効果があることはこれまでもたくさんの事例が
  示していましたが、もう一つの大きな“変化”は、「介護をする側」にあると言われて
  います。
  学習療法では、読み・書き・計算を行う際、対象の高齢者側と、“リードする”側が
  一定の時間を共有します。
  この“共有”の時間が、介護する側に、大きな気づきをもたらすと言われてきました。
  このような、「二重の効果」とでもよぶべきメリットが、多くの方に理解されてきたのでは
  ないでしょうか?


2.自治体のバックアップは大きな“アシスト”になる!


  当たり前ですが、学習療法を「効果的に社会に活かしていく」ためには、自治体の積極的な
  姿勢が必要です。
  写真は、学習療法を健康施策の中に取り入れて“実践”している、新潟県見附市の久住市長
  がお話になっている場面です。
  見附市は、「日本一健康なまち」を本気でめざして様々な“仕掛け”を行っている
  「注目の自治体」です。
  

  単に「健康になりましょう!」との呼びかけを行うだけでなく、日常生活の行動の中から、
  “自然に”健康に向う行動・ライフスタイルを確立できないかという、一歩進んだ
  「健康の都市構造」をめざしている自治体です(⇒スマート・ウェルネス・シティ)。
  これも、首長の問題意識の持ち方・考え方次第なのでしょうか?
  

3.海外が、学習療法に注目している!


  今回のシンポジウムで一番驚きだったのは、“海外展開”の話でした。
  参加者の特典として、ちょっとだけ“予告編”を見せてもらいましたが、米国での成功例
  がドキュメンタリー映画になるそうです。
  

  その他、シンガポールフィンランド政府から“引き合い”がきているととか・・・


  やはり、言語は違っても、「いいものはいい!」なのでしょう。
  学習療法が「日本発のオリジナル・ブランド」になるかどうかはわかりませんが、その
  可能性を改めて感じました。


以上が、今回の主な気づきですが、終わりのセッションで、学習療法の“草分け的存在”である
福岡の永寿園・山崎園長の言葉が印象的でした。
「介護の質」を正当に評価する仕組みの必要性に言及しておられました。


学習療法にこだわる必要はないと思いますが、認知症や身体機能の回復に効果のある具体的な
“ノウハウ”を制度の中でしっかりと位置づける必要があると思います。


膨張する社会保障費をどう削減するかは大きな課題ですが、制度として「給付費を減らす」だけ
では何の解決にもなりません。
学習療法をはじめとした、「介護状態・健康状態に効果を発揮する方法」を普及させて医療・介護
の費用を減らしていくため、「何がよいのか?」を徹底的に見極め、制度の組み込んで普及させて
いく必要があると思います。

板橋Ciryマラソン(続き)

先月に走った板橋Cityマラソンの事務局から、写真の「完走証」が送られてきました。
このにある「ネットタイム」というのが私の“正味記録”で、ほぼ当日自分の時計で
計測した通り4時間25分51秒でした。

今後に役立つと思ったのは、トータルの時間だけでなく、5キロごとのスプリットタイム
がグラフととも記載されていること。
これまでに3回別の大会でフルマラソンを走りましたが、こんな記載は初めてなので、
改めて今後の課題を認識しました。


さて、大会後、「日常のトレーニング」に戻っていますが、最近意識しているのが、
 「どのような走り・フォームならスムーズに走れるか?」
という点です。
ランニングフォームについては、様々な解説がありますが、自身の実践段階において
一番難しいのは、
 「自分の感覚として、どこをどのように意識するか?」
ということだと考えます。
様々な解説は客観的なフォームの説明がほとんどで、外から見た動きについて書いています。
しかし、それを自分の身体に“再現”するのは自分自身のみであり、その感覚は他人に
聞くわけにはいきません。


乗り物にたとえれば、スピードや走りの方向という外から見える状態・性能については
他人がチェックできるものの、自分が運転する乗り物自体が自分の身体なので、その操縦法
は他人任せにすることはできない、こういったところでしょうか?


いろいろと試行錯誤しながらやっていますが、最近気になって意志しているのが、
「重心をスムーズに移動させる」ということ。
これをどうやって意識的にうまく再現し続けるか、という点です。


発端は、日経新聞の記事です。
自身がランナーでもある吉田誠一記者がよく書いている中に、「股関節を意識して
スムーズに身体を移動させる」(だと理解しています)というポイントがあります。
私なりにいろいろ試してみたのですが、この「股関節を意識する」というのが
どうもわかりません。
そこでいろいろ試していくうちに、「常に重心が真下にあり、若干の前傾でスムーズ
に移動していく」というのが近いのではないか、と考えています。


次は、この感覚を意識して持ち続けるにはどうしたらよいか?
これもいろいろ試してみて、「重心の下で、足を踏んでいく」感覚ではないか、と
思い始めるようになりました。
しかも、この「踏む」は、あまり強くやってはだめで、「自然に、軽く」というのが
よさそうです。


これからのテーマは以上のように「考える走り」になりそうです。

被災地から“新しい地域の姿”が生れる!

新聞やテレビ等で何度か見かけた、宮城県石巻市雄勝町の漁師の会社「OHガッツ」。
この会社を立ち上げた立花貴氏の話を先日伺いました。


石巻と言えば、昨年の津波の被害を最も大きく受けたところです。
立花氏は、震災後被災地支援でこの町に関わり、漁師さんたちの「グッとくる生き方」に打たれて、
今に至ったとのこと。
立花氏の話で最も私が感銘を受けたのは、震災という大きなマイナスを元に戻すだけでなく、
さらに“前進して”、これまでにない地域の新しい地域の姿を描こうと考えているところです。


まず、漁業のあり方について。


従来は複雑な流通機構に組み込まれ、生産者から消費者への“距離が遠い”分、生産者(=漁師)
の利益が少ない上(中間流通の段階で、関わった多くの人間が自分の“取り分”を得るため)、
消費者の姿・ニーズもつかみにくくなっていた。
この点を“構造改革”しようというのが「OHガッツ」の取組みです。
まず、雄勝の“生産品”に関心をもった全国の消費者に一口1万円で前払い金を出してもらい、
当面の資金とともに売り先を確保。
しかも、最終的に商品を送るだけでなく、「商品化に至る過程」で、最初に“囲い込んだ”消費者に
様々な情報を発信し、様々なイベントの際に現地に来てもらうなど、ファンを一層固定化。


こうして、昨年は2,000人を集め、今年の目標は5万人とのこと。
生産地と消費者の“距離を短縮する”ことで、様々なメリットを生み出そうとしています。


次に、地域のあり方について。


「もともとの問題」として、震災前から過疎化・高齢化といった構造的な問題を抱えており、これを克服する
方策は交流人口の増加にあるとのこと。
そのためには、他にないまちの魅力を如何に出すかが課題で、上記の漁業の他、観光・教育のあり方等、
様々な面で先進的な取組みに挑戦し、雄勝を「注目のまち」「行きたいまち」に“変身”させることを
めざしているようです。


これらについては、先日の日経ビジネスオンライン記事でも書かれています。


間もなくこの辺りのことを書かれた
 「心が喜ぶ働き方を見つけよう」(大和書房)
という本も出されるとのことなので、楽しみにしています。

地域ミニコミ誌「としま人」を発行しました!

このブログでの報告が遅れましたが、このたび、豊島区内の何人かの“同志”とともに、
地域ミニコミ誌「としま人」を発行しました。


創刊号は、池袋のジュンクドウ・リブロ・旭屋の各書店の他、東長崎駅椎名町駅周辺等のお店等でも
店頭に置いてもらっています。


編集方針は、「豊島区に関係する人」を取り上げることで、私の個人的な政治活動等は一切載せず、
全く別個の地域誌・情報誌にしています。
*ストレートに人を取り上げる他、お店の紹介やイベントの案内なども載せています。


ネットでも見る事ができますので、「としま人」のフェイスブックページをご覧いただきたいと思います。
ご覧いただいた上でページ内にある「いいね」ボタンをクリックしていただけますと幸いです。


2ヶ月に一度を目処に発行していきますので、今後もご覧いただき、ご意見等をお願いします。


また、次号以降に載せる「人」「お店」「イベント」「活動」等を探している最中です
ので、「こんな人が・・・」「こんなお店が・・・」などの情報がございましたら是非教えてくだい。
ただし、現在、無料で配布する代わり、取り上げさせていただく方に対しては“ボランティア出演”を
お願いしておりますので、その点はご理解いただければと思います。


結構好評ですので、今後にご期待願います。

一流のセカンドオピニオン

「一流のセカンドオピニオン


今日のプレジデントオンラインの中の記事にあった言葉です。


未知の世界・経験のない分野に本気で飛び込む際は、一流の“水先案内人”(これは私の表現)
が必要という話です。
ただ、“水先案内人”はあくまで案内人であり、何をどうするかを決めるのはあくまで自分なので、
その意味で次の段階で必要になるのは、「自らの責任で臨むという“当事者意識”」なのだと
理解しました。


そして、筆者は、その“水先案内人”との出会いを可能にするのは、本気でその課題を成し遂げようと
いう「覚悟の大きさ」と、実際に成し遂げることのできる「能力の大きさ」がいかに自らに備わっている
かが“条件”になるとしています。


ふっと重要な気付きを与えてもらったような気がして書きました。

「板橋Cityマラソン」を走りました!

日曜日、板橋Cityマラソン(荒川沿いがコース)に参加し、フルマラソンを走ってきました。


完走はできたものの、結果は、今回で4回目のフルマラソン中、最悪のタイムである4時間25分
ほど(正式タイムは後で送られてくるとのこと)。
写真は、スタート前(上)と後(下)ですが、表情が全然違うように、今回は本当にきつい
42.195キロでした。


しかしまあ、今回は事前の練習不足もあり、完走が大きな目標だっただけに、とりあえずホッとしている
というのが正直なところです。


さて、遅れましたが、当日の“実況”も含めた報告です。


今回は家族で参加なので(小5の子どもは1キロ、妻は5キロ)、義父も含めた4人で東長崎駅から
会場に近い浮間舟渡駅へ。
池袋駅から埼京線に乗ると、一見してそれとわかる“同業者”がたくさんいました。
こういう光景を見ると、いつものことながらやる気が出てきます。


会場に着くと、前日までの雨も上がり、天候は曇りで風もほとんどなく、「マラソン日和」かと
思わせるほど。10日ほど前に走った30キロの調子が比較的よかったので、全体的に練習不足ながら、
「ひょっとしたら・・・」という“欲”がちょっと出ました(結果的には、冒頭のタイムに終わりましたが)。


予測はしていたものの、もの凄い参加者の数で、トイレも荷物預け場所も凄い混み様。
おかげで最後のトイレを済まして荷物を預け終わったのが、スタート時間9時の数分前に。
このため、事前準備のストレッチをする間もなくスタート地点に行かざるを得ませんでした。
ただ、後から考えると、スタート時にスタート地点にいなくても別に“失格”になるわけでもなく、
列の後方に並んで遅れてスタートすればいいだけの話なので、焦って損をしました。
(この辺は、次回参加する時のよい“教訓”になります)


自分がスタートのゲートをくぐってから時間がカウントされていくのですが、私の番になるまで20分
ぐらいはかかったでしょうか、やっとスタート。
しかし、「人が多い」「いろいろなタイム(=遅い速いに関係なし)の人が混じっている」ことも
あり、私の周辺の一団はなかなか“走る”ペースになりません。
1キロを通過した時点で7分弱もかかり、前後がつかえて抜かすこともままならず、5キロが30分。
この時点で、スタート前にちょっと欲張った自己ベスト(3時間49分7秒)更新もほぼ無理と
実感しました。


これまでのマラソンなら、この辺りで「自分の目標タイムに適合する“ターゲット”」を見つけて
後ろについていこうとするのですが、今回はめちゃくちゃな人ごみのため、そんな余裕もなく、
ひたすら「自分との闘い」に没頭します。
そのまま走って6キロ過ぎの第2給水地点で給水とトイレの用を足そうとしていると、いきなり
「日野さん!」との声が。
顔を上げると、ボランティアで奉仕参加をされていたボーイスカウト仲間のHさんでした。
こういう“意外性”は「元気の源」になるので、「行ってきます!」と気を引き締めてスタート。
とはいうものの、異常な人ごみのスローペースの解消の目処は全然立たず、結局10キロほどまで
1キロ6分のペースを強いられます。


しかし、10キロを過ぎると、だんだんと集団がばらけてきたため、フォームに気をつけながら、
1キロ5分から5分30秒のペースで比較的気持ちよく走り、スタート地点の板橋区から川沿いを
下り、北区から足立区・墨田区へと順調に進みます。


このまま行けば、自己ベストは無理としても、それに近いぐらいは出せるかもしれないと“楽観”
ムードが出てきたのですが、18キロ過ぎで右足の感覚がおかしくなり重く感じられるようになって
きます。
こんなことは初めてなので、気にしつつ走っていると、今度は19キロあたりで額に異様に汗をかき、
意識が少々ボーっとしてきました。
これも全く初めての経験なので、この時点で正直完走は無理かと考えましたが、「ともかくいける
ところまで行ってみよう」と進みます。
少々ボーっとしたままですが、ペースはそんなに落ちません。
江戸川区小松川の辺りで折り返し、後は「元来た道」を引き返します。


しかし、25キロ過ぎ辺りから、意識は元にもどったものの、ペースがだんだんと落ちてきます。
こうなると、「次の5キロまでなんとかがんばろう!」と、「目先の5キロ」を目標に走り続けます。
そうやって、30キロを過ぎまでやっとやってきました。


ただこの間、給水地点に来るたびに、スポーツドリンクや水、そしてバナナやあんぱんなどを
“補給”して「エンジンをかけ直す」ような状態だったので、給水が待ち遠しく、いつ頃からか
「次の給水」を目標に走るような感じになってきました。
その意味で、今回のマラソンほど「給水のありがたさ」「ボランティアの方の温かさ」が感じられた
ことはなかったです。
余裕がないながらも、感謝の気持ちで一杯になりました。


ところで、走っている最中から気になっていたのですが、これまで参加した3回のマラソン加古川
つくば、島田大井川)とちょっと雰囲気が異なるのは、給水後のコップや食べ残しの散乱状況です。
もちろん、前に進みながら飲食するので、ゴミ箱は給水給食ポイントから離れた地点にもあるのですが、
それを大分過ぎたところにも、大量の“不要物”が捨てられていました。
これまでの3回のマラソンは、そんなに目立つような状態ではなかったので、ちょっと気になりました。
また、給水給食地点で、私は「ありがとうございます」「いただきます」などと声を掛けるようにしており、
これまでのマラソンでもそのようにされる方が結構いたような気がしますが、今回はそのような方が
少なかったような気がします。
いずれもやはり、参加者が多いからでしょうか?
それとも、私の受け取り方の問題か?


さて、そうこうしているうちに何とか35キロ地点へ。
前半はここから少々ギアを入れ直そうかなどと考えていたのですが、もうそんな余裕はありません。
しかし、ここまで来ると、後は最悪“這ってでも”完走はできるとの目処が立ちます。


この辺りになると、4時間切りのタイムは無理なので、次なる目標は「自己ワーストの更新を防ぐ」か、
それがダメなら「4時間30分は切る」に自ずと変わってきます。
それでもだんだんとペースが落ちつつあった矢先、38キロ地点の給水で、今度は別のボーイスカウト仲間
のTさんがいらっしゃるのを発見。
声を掛けられて元気を入れ直し、ゴールをめざします。


ところが、ゴール目前の41キロ過ぎで今度は左足が抜けたような感覚になり、歩幅を極端に小さくしながら
やっとゴールへ。
ゴール手前で、写真をとるべく妻が待っていたので、笑顔をつくり、先日の琵琶湖毎日マラソンの山本選手
のゴールシーンを思い出しながら、両手を拡げてゴールしました。


これまでになかった両足のアクシデントだったのでちょっと“後遺症”を心配しましたが、筋肉系の
疲労が主のようで、大丈夫でした。


大いなる反省は、やはり練習不足です。
25キロ辺りのトイレで隣り合わせになった方と「お互いの反省」をなぜか話したのですが、
「走った距離は裏切らない」というのは本当です。身にしみて感じました。
20キロ・30キロ走をどう日常に組み入れるか、これが今後の課題です。