有効な“民意把握”手法である「討論型世論調査」について

昨日、慶応大学で開かれた
 「討論型世論調査による熟議民主主義―世代を超える問題を解決できるか」
というシンポジウムに行ってきました。


通常の世論調査が、“生の”民意の傾向(どう思っているかという、その時点でのストレートな
判断)を調べるのに対し、「討論型世論調査」は、無作為抽出で選んだ多数の人間を幾つかのグループ
に分け、あるテーマについて、時間をかけて議論をしたり専門家の話を聞いたりした上での、
「考える過程」(=熟議)を経た判断を調べるものです。
*以上は、日野の認識です。詳細は、今回の主催である、http://keiodp.sfc.keio.ac.jp/


「民意を把握する手法として、どんなものが有効なのか?」、常々模索してきましたが、藤沢市の取組み
などを知り、強い関心をもっていました。


今回、シンポジウムを聴くにあたり、次のような問題意識をもって臨みました。
 1)手法としての優越性は理解できるが、その結果を「政策の意思決定過程」に取り込むにはどうすればよいか?
 2)「多数の人間の判断」といっても、所詮参加する人数は、(自治体でも、国でも)有権者の一部にしか過ぎない。
  とすれば、その“判断”を、「住民(国民)の判断」として正当性を与えることができるか?
 3)上記同様、この調査と通常の調査との間にズレが生じた場合、どう判断・解釈するか?


何人かの発言者のお考えを聴いた上での、この調査法についての現時点での私の“まとめ”は、 
 「討論型世論調査とは、何が正解かを突き詰めるものではなく、そのテーマに関し、“当事者意識”をもった民意
  はどこにあるか、を探るものである」
ということです。
ここに言う「当事者意識」とは、熟議を経た上で、その問題をより深く知り、「より自分の問題として捉えるように
なった」という意味です。


この結論からすると、上記の私の問題意識については、
 1)→そもそも、あくまで意思決定の判断材料の一つである(有力な判断材料ではあるが)。
 2)→1)と同様に考えて、明確な正当性を与えることはできない。ただ、他の民意把握の手法より優れていると
   すれば、その分だけ、「より民意に近くより正当と言える手法だ!」とは言える。
 3)→ズレが生じることは、ある意味当たり前と考えてよい。
となります。


いずれにしてもこの民意調査方法、大いに“使い出”があるのではないでしょうか?


今政府が進めようとしている「税と社会保障の一体改革」など、一方的に無理やり国民を説得しようとするのでは
なく、このようなプロセスを入れてみてはいかがでしょうか?
(結論は、政府の思惑と逆になるかもしれませんが)


様々な場面で活用を考えていきたいと、改めて考えました。