ランニングの大会を見る側の立場から見ると・・・

hino-katsuaki2011-10-12

一昨日の体育の日、友人の関谷氏のお誘いを受けて、スマイル・エコ・ランニングという大会
にボランティアスタッフとして参加してきました(写真の両端は関谷ご夫妻)。


写真はスタッフみんなで記念撮影したものです。
左から4番目が私で、その右前方でちょっとかがんでいるのがご存知高橋尚子さん。
その右隣のアフリカ人の方は、ソウルオリンピック・マラソン銀メダリストのダグラス・ワキウリさん
です。
「なぜQちゃんの隣で写らなかった!」と、今友人たちからさかんに叱られている(?)最中です。


さて、これまで私が参加したランニングの大会と言えば、自分がフルマラソンを完走した3度のマラソン
大会のみで、「見る側」(スタッフも広義の“見る側”として)で参加したのは初めてです。
ちょっとした“気づき”がありました。


当たり前と言えば当たり前かもしれませんが、私だけでなく、多くの方々の捉える「走る側としての参加者
に相応しい人間像」というのは、
 ・日頃からそれなりに走っている。
 ・大会は、ある意味その成果を自分で確認するような場なので、それなりの調整を行ってくる。
というようなものではないでしょうか。


そういう眼で見ると、この大会、「相応しくなさそうな参加者」が結構目につきました。
特に、最長の10キロの部に参加したある男性(相当太って見える)は、何百メートルか走った後、早くも
失速気味。
また、走るフォームや身に着けているウェアも、「いかにもそれらしくない」と思わせる外見。
それを見ていた私とスタッフのSさんの間では、「あの人は無理だろう」と意見が一致しました。
途中で救急車が来たという情報が伝わってきたときも、二人とも「ひょっとしたらあの人では?」と
話し合っていました。
ところが、大部分の方がゴールしてからしばらく経った後、なんとその方がかなり遅れながらも
10キロを完走して戻ってきました。
私とSさんの驚いたことといったら・・・


と、この事実からふと考えました。
ランニング大会は、何も「日頃走っている人」のみのものではないと言えるのではないでしょうか?
なるべく多くの方が「ランニングというものを楽しむ」という観点から考えると、たとえほとんど走った
経験がなくとも、「なんとなく走ってみたい」という人が、不意に参加してもよいのでは?
時間的な前後が逆転していると言われるかもしれませんが、大会に何となく参加した後に、自分で
ランニングに取り組むようになるといったケースも十分ありえるはずです。


「大会がランニングの裾野を拡げる」という立場から考えてみると、こんな「度量の広い大会」が
もっとあってもよいと思います。
例えば、
  「気分で参加!今日だけランナーズ!」
みたいな感じでアピールしても面白いかもしれません。


そうなると、コース設定もちょっと変わってくるはずです。
記録へのこだわりがない参加者が多くなるわけですから、いろんな“寄り道”があってもよいのでは?
たとえば、私は、地域の商店等の活性化策の一つ「まちの駅」に関わっていますが、まちの駅が“面”と
して存在する地域では、「まちの駅=ランニングの寄り道」になるケースも面白いかもしれません。


「立場を変えて物事を見ると、違ったものが見えてくる」を実感した一日でした。