豊島区がめざすのは“コンパクトシティ”か?

今年の広報としま新年特別号の2〜3ページに高野区長と建築家・隈研吾氏の対談が載っています。
http://www.city.toshima.lg.jp/dbps_data/_material_/localhost/010seisakukeiei/050koho/news/H22nendo/20110101/20110101_2_3.pdf


これを見ると、池袋を中心としたハコモノづくり(新庁舎・路面電車LRT)など)を通じて、
どうも“コンパクシティ”をめざしているらしいことがわかります。


この考え方、果たして正しい考え方なのでしょうか?


最初に結論を言いますと、高野区長のコンパクトシティの考え方は、本質を理解していない間違った
考え方です。


そもそもコンパクトシティとは何か。


自治体全体を大きく中心市街地と郊外という区分で考えた場合、郊外に居住や商業等の機能が拡散し、
中心市街地の“密度”が低下するという問題が全国各地で起きた。そこで、このような郊外への拡散状況
を是正し、自治体の中心部に居住・商業・行政等の諸機能を再移転・集中させ、移転した後の、そこに
住む住民の生活の利便性の向上を図るとともに、郊外への拡散によってコストがかかり過ぎるように
なった行政の効率の向上を図ろうという考え方がもともとの出発点です。
拡がり過ぎた戦線を縮小して中心に戦力を集中するという、自治体の経営戦略の転換とも言えます。


ところが豊島区を見た場合、以上のような自治体の状況とはまるで違います。


豊島区全体を見ると、中心から周辺への人口移転・商業機能移転によって問題が発生している訳ではありません。
また、そもそも自治体全体が丸ごと“高密都市”の状況なのですから、そこを是正することは一自治体だけ
ではできませんし、豊島区自体にとってもおそらくその必要性はないでしょう。
ですから、そもそも豊島区にコンパクトシティという概念が成り立つ状況にはありません。


ではなぜ豊島区(区長)では、このような誤った言葉の使い方がされたのか。


私の推測ですが、コンパクトシティのモデルケースになった幾つかの自治体では路面電車や大規模再開発事業が
自治体主導で行われた。豊島区も、路面電車や中心部での大規模再開発を志向している。目的や状況は全然違うが、
中で取り上げられる事業が似ているので、響きの良い言葉を使えば格好がよいし、賛同者も増えるのではないか。
たぶん、こんなところではないでしょうか?


物事の本質を深く考えずに、自らに都合のよいところのみをもってきて格好だけつけようとする考え方は全く
ナンセンスと言えます。


今回の場合、これが自治体の施策にまでなってしまっているので、間違った言葉の使い方をした人間が恥をかく
だけでは済まなくなり、豊島区にとってむしろ害になると言えます。


ここで、「正しいコンパクトシティの考え方」を改めて見てみます。
「正しいコンパクトシティの考え方」において注目すべきポイントは、都市としての諸機能を一定の限定された
地域に集中することにあります。
ここでいう諸機能とは、居住・業務・商業・行政なども機能です。


ところが豊島区の場合、コンパクトシティの名の下、池袋地区を中心とした地域は確かに諸機能の集積が
めざされていますが、周辺の地域は、たくさんの区民が住むという居住の機能を残したままで、逆に行政の
機能・商業機能が奪われつつあるのではないでしょうか?
その中で特に豊島区に責任のあるものが行政の機能です。出張所の廃止に始まり、区民ひろばの展開過程で
生じた諸施設の統合など、行政の機能が各地域で縮小されつつあると言えます。


行政の機能が縮小されれば、そこに居住する人間の数がいくら多くても、まちを利用する動機・まちの中を
歩く動機・機会がその分だけ減ることになり、結果として地元の商店街を利用する機会も減ることになります。
つまり、「間違ったコンパクトシティの考え方」に基づいて、池袋地区中心の諸開発を進めることは、池袋以外
の周辺の地域の商店街の衰退を一層加速させる可能性が大きいと考えられ、そこに住んでいる人間の居住の利便性
を大きく低下させることにつながると言えるのではないでしょうか。


もっと別な「豊島区に相応しい都市像」を追求すべきです。