日本人にとっての「坂本竜馬」と「坂の上の雲」

少々前の新聞記事ですが、1月9日の産経新聞「ニッポンこの20年 長期停滞から何を学ぶ」との特集の中で、
「海外からの処方箋」との見出しで「知日派の外国人3氏」のコメントが載っていました。


その中の一人、前中日フィリピン大使ドミンゴ・シアゾン氏のコメントの終わりで、「日本が再浮上する可能性
はあるか?」との質問への答えの中で、
 「坂本竜馬日露戦争を深く知ることも大切だが、後ろを向きながら前進するのは難しい」
との言葉があり、読んだ当初から非常に印象に残っています。


これ、昨今の「竜馬ブーム」や「坂の上の雲ブーム」に対しての痛烈な皮肉・警鐘と受け止めるべきなのでしょうか?


確かに、坂本竜馬や「坂の上の雲」で描かれる明治の日本人は、現代の日本人にとって憧れの対象と言うべき存在かも
しれません。
しかし、それらを単なる“気付け薬”にするだけで、今の目の前の具体的な行動モデルを自分の頭で考えなければ、
単なるノスタルジーに浸っているだけと言えるのでは・・・
こんな意味が籠められているものと解釈しました。


よく考えてみると、当の竜馬も秋山兄弟も、「憧れの歴史上の人物」はきっといたでしょうが、“それはそれとして”、
自身の行動モデルを自身で工夫して考えたからこそ、当時の時代の先端を走ることができたのではないかと推測します。


そう考えてくると、昨今のこれらのブーム、「古きよき日本の見直し」として肯定的にばかり捉えてもいられないかも
しれません。


ところで、この「現実を直視せずに過去のノスタルジーを追う」傾向、豊島区の一部の人間の中にも濃厚にあります。


池袋周辺に、巨額の税金を注ぎ込んでハコモノをたくさんつくれば、30〜40年前の東京のように、わんさか人が
集まるようになる、と信じている人たちのことです。
自分のノスタルジーに浸るだけで自分の金でやる分には構いませんが、税金を使うとなると、多くの人間をマイナスの
方向に巻き込んでしまうことになります。
こんな無謀な夢を覚ますためにも、豊島区では「首長の交代」が必要と考える次第です。