「走ることについて語るときに僕の語ること」を読んで

村上春樹氏の「走ることについて語るときに僕の語ること」を読みました。


といってもこの本、2007年10月に出た本です。
なぜ今読み始めたかというと、実は発売直後にタイトルに惹かれてこの本を買いました。
しかし、バタバタして読み出さないうちに、いつの間にかどこかにしまい忘れてしまった。
気になって読もう読もうと心の片隅に引っかかっていたのだけれど、家の中のどこかにあるのが
確実なので、再び買うのも図書館で借りるのも、何となく癪に障る感じがして、そのままになって
いた。その本が先日突如(?)目の前に現れた。
こんな訳で、遅ればせながらの読書開始となったわけです。


結果的に言うと、3年経過した今読んだ方が、私にとってはよかった気がします。
当然ながら本を買った動機は、「村上氏が走ることをどう考えているか?」を知りたいということ
だったのですが、本が出た当時、私は日常的にジョギングはしていたものの、まだフルマラソン
を走ったことはなく、そういう状態でこの本を読んでも、「ふうん、凄いなあ・・・」ぐらいで終わって
いたはず(本の内容は、村上氏のフルマラソンウルトラマラソントライアスロンの体験を柱に
書かれている)。
それが2年前(2008年)に初めてフルマラソンを走り(昨年も2回目を経験)、幾分かは「肉体の限界へ
の挑戦」(?)に近いものを“実感”できるようになったので、たぶん「理解の度合い」は上がって
いるものと思います(少なくとも、そう納得しています)。



さて、本の内容について。


一番興味があったのは、「小説を書くという創造作業にとって、走るということはどういう意味を
もっているのか?」「走るということは、小説を書くことにどう有益に作用しているか?」といった
点です。
この点については、第四章「僕は小説を書く方法の多くを、道路を毎朝走ることから学んできた」に
ポイントとなる内容が書かれていました。


氏によれば、小説家にとって最も重要な資質は「才能」とのこと。
しかし、この才能、「持ち主にはうまくコントロールできない」(本文)難点がある。
とすれば、「コントロール可能な資質とは何か?」という課題が出てくるわけで、それが集中力と
持続力である。


一日の生活で何時間かを集中的・意識的に創造作業に充てることができる。
そういった生活を長期間に渡って継続させることができる。
こういった能力が、「(意味のある)小説家であり続ける」ことにとって必要である、ということ
でしょう。


そして、この集中力と持続力は「トレーニングによって後天的に獲得し、その資質を向上させていく
ことができる」(本文)ので、“効果的なトレーニング方法”がきっとあるはず。


走ることは、
 「どの程度、どこまで自分を厳しく追い込んでいけばいいのか?どれくらいの休養が正当であって、
  どこからが休みすぎになるのか?どこまでが妥当な一貫性であって、どこからが偏屈さになるのか?
  どれくらい外部の風景を意識しなくてはならず、どれくらい内部に深く集中すればいいのか?
  どれくらい自分の能力を確信し、どれくらい自分を疑えばいいのか?」(本文)
という点で、集中力と持続力を意識的・計画的に(?)向上させていくのに適した作業であり、その
意味で「小説家であり続ける」という目標のための“効果的なトレーニング方法”たりえると、氏は
捉えています(との私の理解)。


こういった「走ることについての自覚」があるからこそ、走ることは、小説を書くことと同様に
「エネルギーを注ぎ込む」対象になっているのでしょう。


以上が最も感銘を受けた点です。


ところで、文中、氏が神宮外苑を走っていた(今も?)ときの話がありました。
このコース、瀬古利彦氏をはじめとするS&B食品の選手たちのコースとして知られていました。
私も何度か神宮外苑にまで足を延ばしたので、当時の中村監督の強烈な印象など、今でもよく覚えて
います。
瀬古選手だけでなく、当時期待されていた金井・谷口両選手との“出会い”(同じコースでよく顔を
合せていたということ)についても触れられています。


この辺りの文章を読んで一番思い返したのは、代々木公園を走っていた金井選手です。
当時駒場に住んでいた私は、よく代々木公園を走っていましたが、稀にS&Bの選手たちが来ることが
あり、その中に金井選手がいました。
別に面識があった訳でもありませんし、声をかけた訳でもありませんが、あの腰が高くてストライド
伸びるフォーム、思わず見惚れる対象だったです。
その金井選手がそれからまもなく交通事故で亡くなった時、私も“自分なりの”衝撃を受けました。


この点も、この本に「思いが入った」点の一つでしょうか。


以上、まだ「共感を覚える」というレベルまで自分が達していないのが残念ですが、少なくとも頭の中
でも身体の中でも充分に理解はできる(と、思う)ので、改めて、自分にとって「走ることとは何か?」
を追求してみようと考えました。


今年のマラソン挑戦は10月を予定していますので、3ヶ月後にこの課題に対してどうするか、そのプロセス
を楽しむことができればと思います。