安藤忠雄氏の“言葉”から-「好奇心の源泉」

昨日(4/24)の日経新聞・夕刊「安藤忠雄さんに聞く」というインタビュー記事のタイトルです。


同氏の文章にはいつも強い刺激を受けるのですが、今回も「期待に違わず」という感じでした。


「あらゆる活動の原点になる」とする「好奇心」について、
  好奇心はどこからくるのか。人が到底近づくことができないものを見たときではないか。
そして、
  好奇心の原点は感動と探究心。好奇心が知識を得る力となり知的財産の総量がまた
  新たな好奇心を生む
とのこと。


この表現に出会っただけで、何か強いエネルギーが身体に入ってきた感じがしました。


一昨年に出た「建築家 安藤忠雄」(新潮社)には随所に、厳選され、力を帯びた言葉と文章が
登場していました。
もちろん、言葉が感動を与えるということは、ただ単に表現がよいというだけではありません。
背景にある作者の考え方や行動哲学などが、文章の“かたち”や語彙を決め、他にない力を
与えるのだと思います。
私にとっては、最もこういった点を感じられるのが安藤忠雄氏の文章だと思います。


私は議員になる直前まで予備校で現代文を教えていましたが、実は10年ちょっと前、授業で
安藤氏の文章を何度か使わせていただいたことがあります。
当時、日経・夕刊の「あすへの話題」というコラム欄に安藤氏の文章が一週間おきに登場
していました(と、思います)。
このときは「有名な建築家の1人」ぐらいの知識しかなかったのですが、その文章を読んで
みると、実に論理的な構成になっており、「これは使える!」と(他の文章と比べて)、
感心したり、ぞくぞくしたりしました。
勝手な私の印象ですが、同氏の文章、「意識して論理的であろうとする思考訓練を積まれた」
方の文章のように思えました。


私は、現代文を教える際、
 「文というものは、書いた人間の“設計図”を読みとることが全てだ。“設計図”さえわかれば、
  “部分”としての一部の解釈も的確にできる」
と教えていました(実際そういう言い方で)。
この考え方、基本的に間違いではないと思いますし、大学受験だけでなく、“全て”に通ずる
と考えています。
実際、私は同時並行的に小学生に教えることもあったのですが、語彙は別として、この「文章の読み方」、
小学生の文章でもあてはまると確信しています。


当時の安藤氏の文章、もう手許にはないので、あくまで私の記憶ですが、この「設計図」が
見事だったと思います。
まず“全体”としての文章の“目的”があり、それに向って部分部分が有機的な関係を帯び、
“意図した”構成でつながっていく。
そんな印象が残っています。


最近私が読む安藤氏の文章、読み手(=私)の変化かもしれませんが、この“設計図”だけでなく、
個別の単語自体が、結構突き刺さってくる気がします。


安藤氏の文の変化なのか、受け取る私の変化なのか、どちらが主因なのかはわかりませんが・・・


いずれにしても、「いい表現」が刺激になりました。