H22年豊島区予算について(8)−財源の考え方

財源の考え方について述べます。


豊島区に入ってくるお金(歳入)は大ざっぱに分けると次の3種類です。
 1)豊島区が独自に“集める”お金
 2)東京都から“入ってくる”お金
 3)国から“入ってくる”お金


今回指摘したのは、2)の中で最も大きな割合を占める「財調」(正式には、
特別区財政調整交付金」)に関してです。
実はこれについてはこれまでにも議会の中で指摘したことがあります。


この財調、他の道府県にはない特殊な仕組みです。


東京にある23の一つ一つの区は、全国の市町村と同じ「基礎自治体」ですが、
23区全体を一つの“大都市”とみて、「大都市地域の行政の一体性・統一性を
確保する」ため、都が、「本来なら市町村がやるべき仕事」の一部を各区に
代わって行っています。
最もわかりやすいものが、消防・上下水道です。
広域行政を、都が率先して行っているといった感じでしょうか。


仕事をやる以上、当然そのためのお金が必要になるので、「本来なら市町村に入って
くる税金」を都が各区に代わって集めています。
このため、通常の市町村なら上記1)に区分される
  固定資産税
  市町村民税法人分(法人住民税)
  特別土地保有税
がひとまず都に入ります。
そして、都が「自分の仕事に見合う取り分」を“差し引き”(?)した後、さらに
23の各区の財政状況を勘案し、各区の収入(上記1))を補う形で“配分”します。
(現在の“取り分”は、都・45%に対し、区・55%。また、この“勘案”の際には、
 各区の歳出項目が、事業単位でかなり細かく“算定”されます)


この「都からの“配分”」が「財調」です。


「財政状況に応じた“配分”」という点で言えば、国が都道府県や市長村に“配分”
する地方交付税に似ているとも言えます。
*因みに、地方交付税の面でも、東京都と23区は、国から特殊な位置づけをされて
 います。本来なら東京都と23の各区がそれぞれに財政状況を勘案されるはずが
 (=24の自治体として)、都と23区を一つの団体とみなして勘案されます。


さて、私が「豊島区予算」について指摘した点です。


1.区が行う各事業に関し、「財調があるから大丈夫!」というのは、税金の無駄づかい
  を誘発する安易な考え方ではないか?


  全国の市町村の財政危機を招いた「無駄な公共事業の原因」として、
    ハコモノをつくるのに国の補助金が使える
       ↓
    自分のところは全額出さなくてよい(補助金でかなりの分を賄える)
       ↓
    やらなきゃ(国の補助金を使わなきゃ)損だ!
       ↓
    思い切ってやってみよう!
  といった安易な考え方があります。
  

  「財調」についてもこれと同じような受け止め方があるのではないでしょうか(少なくとも
  豊島区は)。
  

  今回の予算委員会では様々な事業が議論されましたが、財源についての質問への
  区側の答えとして、「財調があるから・・・」というのが多々ありました。
  

  例えば、このブログの「H22年豊島区予算について(1)」で説明した都市再生。
  路面電車や東西デッキの財源として、「多額の(?)財調が見込める」との説明
  がありました。
  だから、「区の大きな負担にはならないので、事業としてやってもよい」との
  “ロジック”のようです。      
  これは、上の「無駄な公共事業の原因」の考え方とそっくりではないでしょうか?
  違うところと言えば、「国」が「都」に置き換わっただけでは?


  冒頭で見たように、財調は決して「どこかから降ってくる恵みのお金」ではありません。
  その元は税金です。
  無駄な使い方をしなければ、他に有効な使い方ができます。
  必要性に問題のあるハコモノの財源にするのはやめるべきと考えます。


2.「財調があるから・・・」は、「東京都に対する区の自立性」を放棄する考え方
  になる!
 

  地方分権論議の中で、「国からの、地方の自立・自主性」が議論されますが、同じ
  議論は「都道府県と市町村」の間でもあり、23区と東京都との間にもあります。


  23区の立場からは、「都からの財源・権限の移譲」が主張されています。
  その際、「財調」についても、「本来市町村に帰属すべきお金なのだから、区の
  自主財源的なものと考えてよいのではないか。仕事とその権限についても、
  同じように考えて、都から区に移すべき」との趣旨の主張がなされています。
  この考え方自体は大筋で正しいと思いますが、そう考えると、財調は「自分のお財布」
  ということになります。


  ところで、上記1のような「財調があるから・・・」という考え方、これは
  「他人のお財布」をあてにした考え方です(「自分の懐は痛まないから」と
  いう意味で)。


  この「自分のお財布」という考え方と、「他人のお財布」という考え方、明らかに
  矛盾しています。


  一方で東京都に対し「それは自分のお金だ!」と言いながら、他方で「東京都
  から“もらえる”のだから儲けものだ!」と言っていては、東京都に対する分権
  論議も、真剣な議論とは受け止めてもらえなくなるのではないでしょうか
  (都だけでなく、区民・都民など一般からも)。


  この意味でも、財調を安易にあてにする姿勢は改めるべきです。


*参考までに、財調についての公式説明は以下です。
 これを見ると、都の説明と区側の説明は、それぞれの立場を反映して微妙に異なって
 います。
 (例えば、都:「都が課税する」 VS 区:「都と区の間の財源配分)
 ・都の説明
  http://www.metro.tokyo.jp/PROFILE/SHIKUMI/shikumi_08.htm
 ・区側(特別区長会)の説明
  http://www.tokyo23city-kuchokai.jp/seido/gaiyo.html