H22年豊島区予算について(6)−敬老事業

続いて敬老事業です。


別に敬老事業そのものを全て止めろという訳ではありませんが、ここにも
「直した方がよい」ものがあります。


各地の自治体の事業仕分けでよく議論の対象とされるものに、「敬老祝い金の支給」
(現金だけでなく、商品券なども含む)があります。
豊島区でも、
  最高齢の方
  100歳の方々
  88歳(米寿)の方々
に対し、お祝いとして商品券等を配っています。
*もともとは、77歳の方々・99歳の方々も対象になっていましたが、H15年に77歳の方々向け、
 H16年に99歳方々向けが廃止となりました(財政的理由等)。


「そんなに数が多くないのだから、これぐらいはいいじゃないか!」というのが一般の
“気持ち”だと思いますが、よく考えると、この事業、「行政が何をどこまでやるか?」
について、議論のテーマとして深い意味を含んでいると思います。


1.“大義名分”のない金銭給付は、できるだけやめるべきではないか?


 国・自治体からは、様々な名目で金銭等が支給されています。
 生活保護のように、「必要なレベルに満たない分を補填する」というのなら、行政の役割
 として“大義名分”がありますが、このような“大義名分”がない(小さい)場合は、
 できるだけやめるべきではないでしょうか。


 敬老祝い金の場合、支給の趣旨は、「必要な分の補填」ではありません。あくまで
 「お祝いの気持ち」ですから、上記のような“大義名分”はないと考えられます。
 「『お祝いの気持ち』だって“大義名分”じゃないか?」との考えもあるでしょうが、それ
 ならなぜ「敬老」だけが対象になるのでしょうか。
 極端に言うと、子どもの日・勤労感謝の日といった祝日や、誕生・結婚・就職・退職等、
 一人の人間には様々な節目があります。
 個々人によって「どの節目が大切か?」は違うのですから、特定の節目だけを特に対象に
 するのは適切ではないと思います。
 この辺は明確に「線を引いておく」ことをしておかないと、財政的に余裕があれば、
 無制限に支給対象が拡大する恐れがあるのではないでしょうか。


 「敬老」の中だけで見ても問題があると思います。
 通常、高齢者とされるのは「65歳以上」ですから、本来敬老の日は、「全ての高齢者に
 敬意を表する」日のはずです。
 しかし、特定の年齢の方々のみに特別な給付をするのはこの趣旨に反するのでは?
 「80歳の方や90歳の方は、敬老の対象ではないのか?」との異論が出る恐れも?
 

 なお、支給対象の中には「本当に必要な方」(“大義名分”のある方)がいらっしゃるかも
 しれません。
 私は「何が何でも88歳の方への支給をやめろ」というのではなく、本当に必要な方には、
 “大義名分”のあるやり方(生活保護・介護サービス等)で支給するのが“筋”だと考えます。


2.金銭給付は、「敬老のあり方」として適切か?


 これもよく議論になるところですが、手段としての適切性の点でも問題があると言えます。
 確かに、「たとえ僅かでも金銭給付をしておけば、とりあえず行政が何かやった」ことには
 なります。
 しかし、「金を配る」ことが本当に「敬老のあり方」として正しいのでしょうか。
 たとえば、近所の小学校の子どもが、近所のお年寄りに手紙を書くなどすれば、それこそ
 気持ちのこもった敬老祝いとなるでしょうし、子どもに敬老の日を実感させることにも
 つながっていくことになると思います。


 行政からの金銭給付よりこれらの方が手間がかかるかもしれませんが、核家族・地域
 コミュニティーの変質が進む中、こういったことを通して地域・人を見直すきっかけに
 なるかもしれません。

 
 そして、この場合、敬老事業を行う主体は、必ずしも行政である必要もないと考えます。
 地域によっては、「地域ごとのやり方で、地域にあったやり方」が可能かもしれません。


以上のような点が論点と考えますが、
 何に対して(行政から)お金をかけるべきか?
 敬老のあり方としては、何をどうやるのがよいか?
など、改めてその自治体の住民が議論すべきテーマになるものと考えます。