H22年豊島区予算について(2)−教育
教育についてです。
様々な視点がありますが、抽象的に「どんな教育がよいか?」ではなく、豊島区の
教育施策の問題点を具体的に述べます(もちろん、問題はこれだけではありませんが)。
豊島区の教育政策の内容と方向性(=目標)を記したものに、「豊島区教育ビジョン」
があります。
↓
http://www.city.toshima.lg.jp/dbps_data/_material_/localhost/120kyoikusomu/040kyoikukaikaku/kyoikuiinkai/kyoiku-vision.pdf
大体において「ごもっとも」と思われることが書いてありますが、よく見ると、「?」と
思われる点があります。
P5からの第2章「教育ビジョンの施策とその方向」内の、「目標設定のあり方」について
指摘します。
1.「授業の理解度」を適切に捉えているか?
P9「教師力の向上」の成果指標の一つとして、
「児童・生徒は、学校での学習内容を理解していると回答する保護者の割合」
という項目があります。
H17年度に保護者にアンケートをとったところ、78.1%が「そうだ」と答えて
いたとのこと。
*「そうだ」:「よくあてはまる」「あてはまる」と回答したものをカウント。
この数値をH23年度には80%に上げるのが目標とされています。
数値を上げること自体はまちがった目標ではありませんが、この質問で本当に児童・生徒
の授業の理解度がわかるのでしょうか。
保護者の立場で考えると、自分の子どもが今置かれている環境を否定的に捉える方はたぶん
少ないと思います。
ですから、「よっぽど悪い」のでなければ、「とりあえず大きな問題はないだろう」と
して「そうだ」になってしまうのでは?
こんな曖昧な質問で数値を上げても、その数値に意味がないと考えます。
もし理解度を捉えようというのなら、もっと具体的な指標を設けて質問すべきです。
例えば、
「この一年間に○○字の漢字を習いましたが、その80%以上を普段使いこなせて
いますか?」
などと質問すれば、子どもの普段の姿を見ている親なら「そんなに外れのない状態」を
答えられると思います。
国語だけでなく、どの科目でも、こんな「具体的な指標」は設定できるはずです。
*P13にある「学校の教育活動について、全体的に満足しているか?」という項目も、
尋ね方が曖昧な点、同様のことが言えます。
2.「区立小中学校への入学率」が上がれば、「区立学校への評価が高まった」と
“単純に”判断できるか?
P11「信頼される学校教育、学校運営に関する成果指標」の一つに、
「区立小学校入学率」
「区立中学校入学率」
という項目があります。
近年の「私立志向」から、豊島区では中学受験をする児童が数多くいます(その意味
では、「都立の中高一貫校」をめざす子どもも同じ)。
区立中学校入学率を見ると、H18年には61.9%(つまり、4割弱が「区立以外」に
入学した)だったものを、H23年に64.0%に引き上げるのが目標とされています。
「区立学校の魅力が増せば、その入学率も上がる」という一般論に基づいているのでしょう。
この目標設定、一見正しいように思えますが、果たして妥当でしょうか?
入学率はあくまで結果です。
今、誰もが「不況だ」と考える中、経済的な理由で「公立志向」が増えていると言われ
ます。
また、たとえ私立を受験したとしても、「何が何でも私立だ!」ではなく、受験校を
絞る傾向にあるとも言われています。
ですから、この入学率が上昇したとしても、その主因が「区立学校の教育内容の充実」
とは“単純に”言い切れないのではないでしょうか。
同じ成果指標を設定するなら、「入学率」という“結果”ではなく、「入学させたい率」
という“希望”にした方が、保護者の評価を正確に把握できると考えます。
*因みに、今回の教育ビジョン策定に当たって行われたアンケート調査によれば、「入学率」
は上がっているものの、「入学させたい率」は下がっているとのデータが出ています。
これを見ても、私の指摘は正しいと言えます。
↓
http://www.city.toshima.lg.jp/dbps_data/_material_/localhost/120kyoikusomu/010kyoikusomu/kyouikuvision200911anketo.pdf
また、「入学させたい率」だけでなく、「卒業してみてどう評価するか?」という、
「事後の満足度」をとってもよいと思います。
学校にいる時にはわからなかったことがわかるなど、「冷静な」「客観的な」意見が出る
でしょうから。
以上、教育における成果指標の問題点を幾つか指摘しました。
「何をもって目標とするか?」「何をもって成果とするか?」という設定自体が正しくなければ
行政のあり方を正しく判断することはできないと考えます。
この視点は、教育以外についても、別途改めて指摘していきます。