「公教育改革のあり方」について

先日、品川区教育長・若月秀夫氏の講演を聴く機会がありました。


一度お話を伺ってみたいと思いながらなかなかチャンスがなかったのですが、やはり
「聴く価値は大いにあり!」と感じました。


以下、細かな施策のあり方ではなく(様々な「斬新な施策」はもちろん大いに参考に
なりますが、それ以前の考え方が重要と感じたので)、これまで私が考えていたこと
も含めて、もっと根底にある「考え方」を中心に一言。


1.最も大切なのは、「危機意識」


 今日の教育について、様々な問題が指摘されていながら、結局「一歩踏み出す人」
 と「ほとんど踏み出さない人」がいるのは周知の事実ですが、今回の話を聴いて、
 その差は「能力の差」というよりも、「危機意識の差」ではないかと改めて痛感
 しました。


 大変失礼ながら、若月氏だって、新しいことをやろうとすれば、もちろん勝算が
 あっておやりになっていても、それがうまくいくかどうかはわからないはずです。
 でも“リスク”を負ってでもやろうとするのは、「従来の手法で小手先の改善を
 する」だけではもはやだめだとの痛烈な現状否定の認識があるからではない
 でしょうか。
 否定は、現状への危機感から出ているはずです。
 大部分の「ほとんど踏み出さない人」は、この点の感度が鈍いのでしょう。


2.「問題解決とは何か?」についての認識の相違

 
 たぶん若月氏は、
   1)現状に大きな問題が目に見える現象として生じている
      ↓
   2)従来の仕組み・制度・手法等をやってきた結果問題が生じたわけだから、
     仕組み・制度・手法等を大きく変えなければ問題解決にはならない
      ↓
   3)従来にない新しい仕組み・制度・手法等を考えていかなければならない
 といった思考法をとるのだと思います。


 これに対し、大部分の「公教育の関係者」は、2)の段階が決定的に欠落している
 のではないでしょうか。
 あえて(失敗の)リスクを負わなくても、従来のやり方で「一生懸命やる」ことで
 なんとかなると考えているのだと思います。
 

 まあ、これは問題の深刻度の認識の差とも言えるので、その意味で、分析能力の差が
 根底にあるとも言えるかもしれません。


3.教師を性善説的に捉えることの適否


 上記2をもっと深く考えていくと、結局「現状の教育制度・教員で一生懸命がんばれば
 何とかなるはず」と考えているか否かが根底にあるような気がします。
 先生の能力をある意味信頼している点で、この考え方は「教師性善説」とも呼べるでしょう。


 しかし、これは正しいでしょうか。


 私は別に「教師性悪説に立つべき」と言っている訳ではありません。
 しかし、少なくとも、「今の教師は、なんでもできる万能の人材ばかりが揃っている訳では
 ない。従って、能力的に不足している面があることを前提に、仕組み・制度・手法等を考えて
 いくべき」と考えています。
 
 
 この私の考え方、今の教師自身にとっても必要な考え方だと思います。


 「先生は万能」は、「先生への過剰な期待」につながります。
 「過剰な期待」のもとに、何でもかんでも背負わされている今日の教師自身こそ、大変なのでは
 ないでしょうか。


小手先で品川区の教育改革を真似ても、結局のところ以上のような考え方が根底にないと、
「単なる猿マネになる恐れがある」と、考えました。