NHKドラマ「坂の上の雲」について

一昨日、今年放送分の第一部全5話が終わりましたので、取りあえずの雑感です。


これまで何度も原作を読んできた“坂の上の雲ファン”としては、「まあ、こんな
ものかな・・・」というのが正直な感想です。
司馬遼太郎自身が映像化に否定的だったことから、原作のイメージが壊れることを
危惧していたのですが、「そこまでのマイナスはなかった」と思います。
ただやはり、個人的感想として、原作の真髄・読者に感銘を与える(と、私が感じた)
点を伝えきれていなかったのは、仕方がないとは言え、残念でした。


私が原作を読んで印象に残った点と今回のドラマを比べながら、
坂の上の雲のすばらしさ」を再確認してみたいと思います。


1.明治という時代の雰囲気を伝えることの難しさ


 あくまで「司馬遼太郎氏が捉えた『明治とは何か?』」なのでしょうが、原作
 には、 主人公の「ドラマチックな生き方」を包含したした上で、それを超えて
 「時代を語る」姿勢があります。
 ドラマでは、俳優による一定の“演技”が終わった後に、ナレーションという
 形で語られていましたが(=原作の朗読)、この形だと何か説教くさくて、
 ドラマに無理に歴史性を持たせたように感じたのは私だけでしょうか?


 原作には、「明治と言う時代は何か?」という点で、以下の点が象徴的に語られて
 いたと思います。


 1)「パブリックな立身出世主義」


   これはドラマでも多少触れられていましたが、
   原作の中に、
    「個人の栄達が国家の利益に合致する」
   との記述があります。


   主人公の秋山兄弟だけでなく、明治維新によって“食えなくなった”江戸時代の
   武士階級が、大量の「貧乏氏族」となって出現する。
   「江戸期に完成をみた武士」のはずですから、個人的倫理観・精神的エネルギー・
   自身を超えた主体(=公的なもの)への帰属意識などは整っているのですが、
   それを使う機会・場所がなくなっている。
   それを、「勉強すればタダで食うことができる」というチャネルを通じて吸い上げ
   たのが、仕官学校や師範学校だったと言えるでしょう。


   ドラマの中では、学校の先生になるために大阪に旅立った少年・好古がいつの間にか
   士官学校の生徒になっていましたが、この間を記した原作には実に示唆に富む記述
   が凝縮されていると思います。
    ・片道の運賃だけで、希望(“夢”とは言えない!)だけを頼りに大阪に向った
     好古少年の姿
    ・泥縄的な施策にせよ、とにかく国民の教育に力を注いだ明治政府
     (大阪の教員時代の好古少年の生活と合わせて)
    ・師範学校を出た好古が「松山の先輩」というだけでそれを頼りにし、彼のススメ
     というだけで、士官学校をめざしたこと
   など。
   これらについては、時間的制約と映像化の難しさから、ドラマではほとんど触れられ
   なかったのだと思いますが、ドラマだけを見た方にはきっと伝わっていないと考えると、
   残念に思います。


 2)「藩意識」


   強烈な郷土意識と言い換えてもよいのでしょう。


   原作では、明治維新で賊軍となった松山だけでなく、官軍となった薩長の人間も、
   個人のアイデンティティーとして、藩・郷里を強烈に意識したことが書かれています。
   好古が士官学校に入るために身を寄せたのは旧藩屋敷ですし、真之・子規にも常に
   松山(伊予)がついてまわる。


   ここからは原作を勝手に解釈した私の推測ですが、日清・日露戦争を経てある程度
   「“坂を上ることができた”日本」の背景として、これがあったのではないか。
   江戸の閉鎖的な幕藩体制を通じて出来上がった幕末の日本には、「藩(国)ごとの違い」
   という意味での強烈な個性の違いが生れていた。
   そこに“刺激剤”としての、中央集権体制と西欧モデル(文明開化)が加えられた。
   受け手(江戸期の藩意識の中で生活していた明治の人々)が多様であればあるほど、
   “刺激剤”を元にした解釈が多様になり、その解釈の多様性から“第二発明”とでも
   言うべき、(西欧モデルをタタキ台にした)「日本的なオリジナル」が生れる。
   それが明治日本の大きなエネルギーを形づくる一つとなった。


   こんな文脈での藩意識です。


   生活様式や文化などの様々な面で均一化した現代と比べた時、明治のこの時期は、
   「強烈な個性を生むインフラとしての“バラエティー”を備えていた」
   と言えると感じています。


 3)「人材を輩出する仕組み・雰囲気」


   原作中、好古と山県有朋が出会った時の記述において、山県という人間について
   描写に関し、この当時のリーダーの考え方の典型として、
    「人間の能力を選別してそれに一分野を担当させ、それを支援するだけで
     一分野の建設は一人物にまかせてしまう」
   とあります。


   陸軍であれば、リーダー(この場合は山県)がこれと見込んだ人間(=好古)に、
   「日本の騎兵をどうつくっていくか?」を任せてしまうということですし、
   海軍であれば、作戦立案を真之に任せてしまうということになります。


   ひょっとしたら、ドラマの来年以降の部分に出てくるのかもしれませんが、
   類似の記述は原作の中で他にも見られます。
    ・西郷従道山本権兵衛に「海軍建設を任せた」こと
    ・大山巌児玉源太郎に「日露戦争の陸軍の戦いを任せた」こと
    ・明石元二郎が、「重要な諜報任務を任された」こと
   など。


   上記2)との関連で言うなら、「薩摩型リーダー」ともなるのですが、秋山兄弟
   や他の人間にまでこの記述がなされているところを見ると、これは「明治の一典型」
   なのでしょう。

  
   現代の人材選抜が客観基準重視であるとすれば、明治の人材選抜は「人間観重視」
   とでもなるのでしょうか(もちろん、ある程度客観基準を満たした上でのもの
   なのでしょうが)?


   原作のこの辺の記述を「映像化する」のは、やはり至難の業だとは思いますが・・・


2.秋山好古という人間について


  上記1)とも関連しますが、仕官学校前の好古の生き方の中に、好古の本質の
  一つがあると思います(本来は優しい性質をもった人間)。
  その意味で、おぼろげな方向性の中で懸命に前を向いて生きていた好古の生き方
  がもっと出ていればよかったと思います。
  上記に加えると、
   ・大阪での「紅鳥先生」とのやりとり
   ・和久正辰からハッパをかけられながらも逡巡する、名古屋での姿
   ・士官学校受験時の作文の問題への対応
  などのエピソードは欠かせない気がします。


  日清戦争時の好古について「勇気は、生まれ持った固有のものではない」という
  趣旨の原作の記述がありますが、これは上記の“前段階”を読んだからこそ理解
  できる記述のはず(少なくとも私はそう感じます)。
  それを、ナレーションだけで済ませてしまうのは、ちょっと乱暴に感じます。


  まあ、これも「ないものねだり」の“贅沢”なのかもしれません。


3.秋山真之という人間について


  実は、私が予備校で現代文を教えていた時、文章理解の大きなポイントの一つと
  して常に念頭に置き、生徒にも伝えていたのが秋山真之という人間の才能に
  ついて書かれた部分です。
  真之の「戦略戦術の天才」のポイントは、「要点把握術」だとした記述で、
   「人間の頭に上下などはない。要点をつかむという能力と、不要不急の
    ものはきりすてる大胆さだけが問題だ」
  とあります。


  現代文に限りませんが、受験においては、限られた時間の中で問題を完璧に
  解くことはまず不可能です。
  合格点が6〜7割だとすれば、できもしない「満点目標」を追求するのでは
  なく、時間内に確実に6〜7割をとるやり方を徹底的に“志向”すべきです。
  そして、そのポイントは、上記の「要点把握」です。


  この「要点把握」、受験に限られるものではありません。
  あらゆる場面・事象において、内容・状況を大まかなところで正しく理解する
  ために必要なポイントだと、予備校教師を辞めた今でも、「ものごとの考え方」
  として、常に念頭に置いています。


  上記1の「明治という時代」との関連で言えば、この真之の特性が明治の
  「人材を輩出する仕組み・雰囲気」の中で海軍の核心部分に引き上げられ、
  それを組織的な動きに反映できたことが、日露戦争における日本海軍の成功
  になるのだと思います。


  一部の最後の一昨日の放送が、真之のこの部分の時期で終わったので、
  来年には出て来ないのでしょうか?
  映像表現が非常に困難だとは思いますが、ここも、「ナレーションで済ませる」
  では、ファンの一人として何だかやりきれない思いがあります。