行政刷新会議の事業仕分け(2)

行政刷新会議事業仕分け」についての2回目です。


先週は結局、初日の他、2日目の午後の傍聴のみでした。
以下、初日の補足も含めての感想等の追加コメントです。


1.「地域間の格差是正」はどこまで正しい“大義名分”か?


 前回のも触れた初日の文科省関係の事業「学校で、子どもに芸術を体験させる」
 ですが、なぜこの事業が必要かの理由として、
  「子どもたちが優れた芸術に触れる機会を、地域間の格差なく確保するため
   には、国が経費を負担しつつ実施することが必要」
 なのだそうです。

 
 確かに、東京などの大都市圏に比べ、地方では演奏会や公演などは少ないでしょう。
 しかし、「文化の平等化」は国が税金を負担してまで取り組むべき課題なので
 しょうか。
 基本的に国が取り組むべき「格差是正」はインフラ的なものであって、個人の
 嗜好や地域の特性などが大きく関わる文化などは、行政が「こうあるべきだ!」
 として積極的に関わるものではないのではないでしょうか。


 しかも、他の事業との関連で見ると、文科省が考えている文化は、どうやら
 クラシックやオペラ・バレエ等が“標準”のようです。
 もしこの事業の効果が限りなく上がったとすると、全国各地の文化は、文科省
 の指導の下、金太郎飴的な、画一的なものになってしまう恐れはないのでしょうか。


 医療や通信・交通等については、「地域間の格差是正」は必須の課題ですが、
 文化がこの中に含まれるべきものなのかどうか、議論を聞いていて大いに
 疑問をもちました。


2.ナショナルミニマムの充足と地方自治体の自己責任について


 厚労省の「水道施設整備事業」の議論を聞きましたが、どうもこの事業には、
  A)水道をインフラと見た場合、必要な水準を確保できない恐れのある自治
    がある。その確保のために国が補助する。
  B)インフラの水準は十分と言えるが、さらに機能の向上を図る(水の品質の
    “一層の”向上 など)ために国が補助する。
 の2つの側面があるようです。


 一つ言えるのは、「国があえて補助金を出す」対象は、基本的にAに絞るべき
 ではないでしょうか。この水道事業全体で見た場合に、「AだけでなくBにも
 お金を回す余裕がある」から、Bの補助事業がなされるのでしょうが、
 “必要最低限”以上の上乗せをやろうとする場合は、負担についてもその自治
 の責任としないと、公平性の問題だけでなく、ムダづかいを生む温床になりかね
 ません。
  「そんな余裕があるなら、医療・福祉等、もっと必要なところがある」
 はずだからです。


 もう一つ考えたのは、たとえ上記Aの補助であっても、
  「他でムダなお金の使い方をしたから必要なインフラ整備に回すお金がなくなった
  (過去を含めて)。だから、国に助けを乞う」
 というような自治体に対して、何のペナルティー等もなく補助をしてもよいかという
 問題です。


 地方交付税についてはある程度「その自治体固有の財源」とみなせるので、そのお金を
 回すことに関して特にこんな問題はないでしょうが、この補助金地方交付税とは
 異なるので、「特にその自治体に出す」ことに対して、厳格なチェックがあってしかる
 べきでしょう。


 「使途の自由な地方交付税は勝手に使えるから、ムダな公共事業に使ってしまった。
  その結果、本来やるべき事業に回す余裕がなくなってしまった。その穴埋めの
  ために、国の各種の補助事業に頼る」
 ことを安易に認めていては、いつまでたっても「地方自治体の自立的な行政経営」は
 期待できません。
 

 今後、「使途の制限された、使いにくい補助金」から「使途の制限のない、使いやすい
 一括交付金」への制度変更が検討されるようですが、上記のような事態を助長させない
 ためにも、何らかの歯止め措置が必要と感じました。