「政権交代」の地方自治体への影響は?

先日、全国首長連携交流会が主催した「国会議員と市町村長の公開討論会」に
参加してきました。


時期が時期だけに国会議員の方の数は少なかったのですが、首長側では、
全国市長会会長である長岡市長・森民夫氏をはじめ、“錚々たる”メンバー
が出席していました。


最も興味深かったのは、政権交代地方自治体に与える影響をどうとらえて
いるか、に関しての議論でした。


民主党が掲げている政策が本当に実現できるのかどうか、財源問題をはじめ
として、様々なハードルに不安を感じる人間は多いと思います。


私は、「選挙を前に国民とした約束」なのだから、民主党は無理にでもやる
ものと推測します。
ただ、その過程で、「財源を生み出すためにカットした既存の事業」の影響
が大なり小なり出てくるのでは?
民主党自民党が「新たな財源を生み出す」ための一つの手段として取り組んで
いる事業仕分けなどを見ていると、確かに総論的にはカット(=不要)が妥当と
思われるものが数多くありますが、実際にカットした場合にどのような影響が
出てくるかは、「やってみなければわからない」面がかなりあるのではない
でしょうか。
このときの“混乱”が大きいか小さいか(別の言い方をすると、国民の多くが
許容できるか否か)で政権交代の短期的評価が決まるのでしょう。
私はこのように考えています。


今回の討論会の議論でも、このような不安が何人かの首長から出されました。
しかし、ある市長から、
 「何年かの“混乱”があるのは覚悟した方がよい。しかし、その“覚悟”
  さえ決めれば何とかなるのでは?」
という趣旨の発言がありました。
決して民主党を支持する立場からの発言ではなかったのですが、
 ・国の仕組みが変わる
 ・国と自治体との関係のあり方が変わる
時に直面している“当事者”として、このぐらいの覚悟をしておく必要性を
改めて感じました。


もう一つ、地方分権が進むことが本当に望ましいことなのかどうか、といった
根源的な疑問も改めて出されました。


本当に地方分権が進んだ場合、財源のあり方・実施する施策のあり方が、
徹底的に「自治体ごとの自主性に任される」ことになります。
“自主性”といえば聞こえがよいのですが、これは「自治体ごとの能力に応じた
違い」が生れることであり、別の表現を用いれば、今以上に“格差”が生れる
ことにもなります。


地方分権を真剣に考えるが故に、「分権の実像」を極めて現実的に捉えた末の
危惧・疑問が、上記の疑問なのだと私は理解しています。


これについても、ある市長から、
 「格差・違いが生じるのは当たり前であり、決してマイナスと捉えてはいけない。
  そこにどういう工夫を施すかが自治体の真骨頂であり(このような表現は使い
  ませんでしたが、私が“意訳”しました)、たとえば我が○○市の教育は、
  現在においても、財政的に豊かとされる東京の公教育には絶対負けない自信が
  ある。」
との発言があり、私を含めた参加者の多くが、この発言の趣旨に納得したと思います。


結局のところ、政権交代地方分権は、
 「誰かがバラ色の現実を築いてくれる」
ものではなく、
 「基本的に、直面した自治体や個人の自己責任・覚悟に負うもの」
という当たり前の姿を再確認した一時でした。