「文科省 独立行政法人・公益法人」の事業仕分けから
一週間遅れのコメントとなってしまいましたが、6/8に行われた掲題の事業仕分け
についてです。
なお、私は今回、15時過ぎから2事業を見ただけですので、「部分的な感想」に
と言えるでしょう。
今回は相当注目を集めたようで、会場に着いた時は事業に関しての資料がなくなって
いました。
また、私が見た範囲ですが、傍聴の感想として、「官僚の不適切な部分・評価でき
ない部分を抉り出した点で、大いに意義がある」といった趣旨のメールが結構流れて
いました。
これはこれで、ある面での“正しい見方”なのだと思います。
しかし、私は、今回については、会場を出てから「何か違和感がある」ような気が
していました。
違和感の中味を今の時点で改めてまとめてみると、
1.制度論絡みの話について、説明者(=現時点での担当者)の責任を追及するのは
ちょっと酷ではないか?
例えば、幾つかの組織に共通する“埋蔵金”的なもの。
自民党の国会議員の方々がこの部分に焦点を当てようというのは、今後の制度
改革の観点では大きな意味をもちますが、これをもって現在の担当者を“責める”
のは、ちょっと筋違いではないでしょうか。
この種の制度論で省庁の責任を追及するなら、制度の立案者か責任者を相手に
やった方が、「当初の目的のどこに問題があったのか?」など、今後の制度を
考える上で有意義な論点が出てくるかもしれません。
さらに言えば、そもそも現行の制度を認めたのが自民党等の与党なのですから、
あの場の“論戦”は、国会において、与野党が「政策の是非」という形でやりあう
のが、本来の姿のような気がします。
2.宣伝材料的な色彩を帯びた事業仕分けには、やはり少々無理が感じられる。
今回仕分け人として登場された自民党国会議員の全てがそうと言うのではあり
ませんが、外から見た大まかな図式は、
自民党の仕分け人 VS 説明に当たる官僚
↓ ↓
もの言う原告 言われるがままの被告
正義 悪
有能 無能
といった“演出”の下に、進行されたように感じます(これを当初から意図した
か否かわかりませんが)。
選挙が近くなると、どうしても「見せ場をつくる」必要が出てくるのでやむを
得ないのでしょうが、「自然な議論」からはちょっと離れた何かがあるように
感じられました。
以上は、私が感じた違和感ですが、私は決して今回の仕分けの意義を否定する気は
ありません。
今回取り上げられた「擬似(?)民営化」に問題があったことを鋭く指摘した
点は大いに評価されると思います。
さて、もう一つ、違和感を覚えた後で、「事業仕分けの理想の形とはどんなもの
なのだろうか?」と改めて考えました。
ふと浮かんだのは、私が初めて仕分け人を務めた町田市の事業仕分けの一場面です。
仕分け人側からの理詰めで穏やかな追求(「追及」ではない!)に、担当者が
思わず懐を開き、担当の事業に対し、「個人的にはおかしいと思います」と答えた
ことがありました。
あの場面、仕分け人も説明者(=当該事業の担当者)も、一つの目的に向って
「同じ道路を走っていた」ような感じでした。
何か「いい感じの雰囲気」として私の記憶に残っています。
この点から「理想の事業仕分け」を改めて考えてみると、
仕分け人
説明者
傍聴者
が皆で、「この自治体(国)をよくするには、どういうあり方がよいのか?」と
一緒になって考えるような進行方式・雰囲気が最もよいのではないでしょうか。
時間や人数等の面でハードルは高いかもしれませんが、こんな姿を理想として、
「理想の事業仕分け」を追求していけたら、と考えた次第です。