ロシアのこと

hino-katsuaki2009-04-08

先日、我が家にロシア人女性2人が1週間のホームステイに訪れました。
写真の2人で、ハバロフスク在住の姉妹とのこと(年齢は2人とも40代)。


この2人がロシア人の“代表”ではないので、今回の機会をもって
「ロシア人は・・・」という気はありませんが、私にとっては非常に面白い
経験でした。


さて、なんと言っても問題は言葉。
今回もホスト役となったのは私の妻ですが、ロシア語の事前知識と言えば挨拶
程度のもので、簡単な単語集を片手に意思疎通を試みたのですが、時々疎通不能に。
私はロシア語の知識ゼロでしたが、2人の中の1人が英語ができるとのことなので
会話を試みます。しかし、彼女は、英語下手の私以上に語彙がなさそうで、これも
時々“途中停車”の状態に。
それでも、「大体はお互いに理解できた」と思います。


我が家に来てからの2人の様子を見ると、日本食は合わないのか、ほとんど
食べようとしません(との印象)。
これまで、韓国・アメリカ・香港・シンガポールハンガリーケニアからの
ホームステイの受け入れをやってきましたが、彼ら彼女らは、たとえ日本食
嫌いでも(?)、少しは「味わってよかった!」という素振りを見せました。
ところが今度のロシアの2人はそんな“お世辞”はほとんど見せません。
しかし、だからといって「相手に対する気遣い・思いやりがない」訳ではなく、
食器洗いは率先してやるし、ボルシチも作ってくれました。
この点は、たぶん「合理的」なのでしょう。


滞在3日目頃になると、日本食は食べないけどビールが大好きで、ビールを
飲むと陽気になってしゃべり出す、ということがわかってきました。
*この写真も、近所の居酒屋チェーンでの一コマです。


話の中で一番印象に残ったのは、やはり人間観・社会観です。


実は、今回の受け入れはある団体を通じてのものだったので、滞在中にその
団体のイベント(内容は子どもも混じったゲーム等が多い)に参加したの
ですが、帰ってきてからビールを飲んで話していると、そのイベントの
ことをかなり批判していました。


彼女が、
 「大勢が一緒になって一つのことをやるのはおかしい。なんでみんなあんな
  ことをやって楽しいんだ」
と言うので、私が、
 「ロシアではどうなんだ?」
と尋ねたところ、(ちょっと自慢げに)
 「ロシアはデモクラシーの国だからあんなことはやらない」
のだそうです。
そして、酔いの勢いもあってか、ソビエト時代の体制賛美の歌(らしい)を
歌って聞かせ、
 「こんなものは今のロシアにはなくなった」
と誇らしげに(?)語っていました。


確かにソビエトからロシアに変わったのですから、「ロシアはデモクラシーの国」
なのかもしれませんが、私を含めてほとんどの日本人はおそらくそんな評価
はしていないでしょう。
デモクラシーについての教育が日本と違うからなのか、国・民族を誇りに思う
気持ちが非常に強いからなのか、わかりませんが、「日本人のロシア観」と違う
ことだけは確かです。
ちょっとしたカルチャーョックみたいな、興味深いやりとりでした。


もう一つ、このやりとりに続いて、そのイベントに関し、
 「何の目的であんなことをやるんだ」
とさかんに聞いてきました。
妻がその団体の内容・活動等についていろいろと説明をしましたがなかなか納得
しようとしません。
そこで私が(妻と娘はその団体に入っていますが、私は入っていないので外部の
立場から)、
 「みんな友達をつくりたいから参加してるんじゃないのか?」
と言ったところ、急に真剣な表情に変わり、
 「あんなもので友達ができるわけないじゃないか」
とのこと。
さらに、
 「そもそも本当の友達なんてものは、この広い世の中で(この部分はジェスチャー
  つき)ほんの僅かしかいないんだ。あんな表面的な付き合いだけで友達なんて
  得られる訳がない」
のだそうです。


後でよく考えたのですが、この人間観、ロシア人の民族的な伝統からくるものなのか?
それとも、社会主義時代、密告等で体制批判を封じてきたが故に、
 「本当に心を許せる味方はほんの一握りしかいない」
との人間不信からくるものなのか?


いずれにせよ、この人間観にも、ちょっとした知的興奮を覚えました。


言葉による意思疎通は不完全ながらも、「異国の人間・考え方に触れ合う楽しさ」を
家族全員で味わった次第です。