智頭町の改革(1/31・NHK番組)から考えたこと

昨日、NHK「ドキュメント にっぽんの現場」で鳥取県智頭町における、
住民参加の行革の取組み(と、言ってよいのでしょう)が紹介されていました。


町民有志が「百人委員会」なるものを結成し、幾つかの分野ごとに分かれて
現在の行政のあり方を検証して、町の今後のあり方について提言するという
ものです。


あくまで放送された内容のみからの判断ですが、番組を見ての若干の感想・
コメントです。


まず、議会の改革について。


議員報酬の日当制が提言されていました。
一般に、日当制の論拠として、
 「現在の議員は大した活動をしていない」
 「そこから判断すると、“時給換算”した現行の報酬は高すぎる」
 「だから、会議に出席した時のみ報酬を支払う日当制が妥当である」
等が挙げられます。
これはこれで、その自治体の住民が、目の前の議会・議員を見て判断する
ことですから、一つの判断・見識として尊重されるべきものでしょう。


ただ、
 「現行の議員のレベルが大したものではないから、議員は所詮“そんな
  存在”だ。だから報酬も“その程度”にしてよい」
という考え方には、以下の点から疑問を感じます。


 1)議会が、ますます既存の政党・団体の「代弁の場」になってしまう
   恐れがあるのではないか?


    私の議員活動が他より優れているというつもりはありませんが、もし
    日当制になった場合、私のような政党・団体をバックにもたない
    無所属の議員が議会に加わる可能性は非常に低くなると思います。
    (少なくとも、私の住む豊島区においては)
    議員の資格を得るには、選挙で一定の票を獲得しなければなりません。
    特定の政党や組織がバックにある方なら「組織票」をあてにできます
    から、極端な話、その組織の方だけを見ていればよい。
    しかし、何もバックにない議員が一定以上の支持を得るには、他の議員
    と比較された際の政策・活動面での優位性の発揮とそのアピールに
    大きなエネルギーを割かねばなりません。
    私の現状から考えると、他に仕事をもって(当然これが主活動になる)、
    時間配分として「議員活動が従・仕事が主」とした上で、この
    「大きなエネルギーを割く」のは非常に困難だと推測されます。
    結果、よほど経済的に余裕のある方や著名人以外は、「バックのない
    人間」は当選が難しくなり、議会が政党・団体の代弁者で占められる
    ことになります。
    その結果、「多様な意見」が議会に反映されにくくなると考えます。


 2)議員の「アマチュア化→レベル低下」がますます進むのではないか?


    私は地方議員はある種の“プロ”であるべきだと考えています。
    もちろん、一般の生活者の感覚を持たなければならない点で、
    “素人感覚”を有した者である必要はありますが、行政に関連する
    様々な課題・事象等について検討・判断等を行っていく上においては、
    その能力のレベルは一定以上が必要だと考えます。
    これが私の言う“プロ”です。
      「現状はそうでない議員が多い」
    との批判の妥当性は承知していますが、「地方議員のあるべき論」と
    しては、やはりそう考えます。
    そう考えると、議員という職業に“それなりの人材”を呼び込む
    には、一定程度(この具体的内容は判断が難しいですが)の“待遇”
    が必要なのではないでしょうか。
    一般の企業等においても、
     「それなりの人材を得るには、それなりの待遇が必要」
    なはずです。 
    日当制(既に導入した福島県矢祭町もこの智頭町の提案も3万円)では
    このそれなりの“待遇”には満たないと私は考えます。
    ですから、日当制を導入すると、
      より優れた人材が、議員を志さなくなる(現状以上に)
          ↓
      議員のアマチュア化・レベル低下が一層進む
          ↓
      より不活発な議会になる
    といった結果になるのではないかと思います。


ただ、繰り返すようですが、智頭町の多くの住民の方が
 「わが町の議員はアマチュア程度でよい」
と判断されるのであれば、日当制も十分妥当性があります。


しかし、(番組では放送されませんでしたから実際は議論があったのかも
しれませんが)それだったら、もう一つの選択肢として、議会をなくして
町村総会」まで踏み込まれてはどうでしょうか。
実験的な試みとしては、この方が意義が大きいと思いますし、「百人委員会」
の勢いなら、そこまでの可能性も感じられます。


番組では、職員給与のカットも触れられていました。
 「今のご時勢を職員も真剣に考えろ!」
という議論は、一般的に大いに共感を呼ぶものと言えます。
ただ、これも行き過ぎると、上記の議員の場合のように、
 「職員のモチベーション低下・レベルの低下」
につながる危険性もあると思います。


これからの日本のあり方・地方自治体のあり方を考えた時、
 「議員も自治体職員も、所詮こんなレベルの人間しかいない」
という事態とならないよう、「縮小一辺倒の議論」にはどこかで歯止めをかける
必要があるのでは、とも考えました。
*もちろん、不断の“見直し”が必要なことは言うまでもありませんし、
 私はこれまで「行財政改革」に消極的な姿勢をとってきたことはないつもりです。