「峠」(司馬遼太郎)を読んで
と言っても、通読しただけでも10度目ぐらいになりましょうか。
一番最初に読んだのは高校1年の時で、折に触れ、部分読みも含め、何度も何度
も読み返し、その都度「何事かを得た」ような気がします。
内容については、もうほとんど頭に入っているのですが、不思議な魅力がある
から故でしょうか。
改めて読み返してみて感じたのは、極めて内容の濃い小説だということです。
司馬遼太郎独特の人間観で「河井継之助の人間像」を描いているのが中心です
が、その他にも、
・江戸期に完成を見た「武士」とはどういう存在か?
・幕末に変質した武士道徳の“変遷”の本質
・陽明学とは何か?
・幕末日本の「秩序崩壊」とは?
など、実に知的好奇心をそそる内容が盛り込まれていることが改めてわかり
ました。
さて、作中の部分部分についての個人的な“感慨”はいくらでもありますので
ここでは触れませんが、司馬遼太郎がなぜ様々な人物を小説として描いたのか、
これも改めて考えました。
やはり、「人間の生き方の美しさを後世に伝える」使命感のようなものが
あったからだと思います。
「峠」のあとがきで、河井継之助について、
・・・が、継之助はそれを選ばなかった。・・・「いかに美しく生きるか」と
いう武士道倫理的なものに転換し、それによって死んだ。挫折ではなく、
彼にあっても江戸期のサムライにあっても、これは疑うべからざる完成
である。
とあります。
司馬作品の主人公である、河井継之助にしても、高杉晋作、坂本竜馬、江藤新平、
土方歳三、千葉周作、秋山好古、大村益次郎にしても、「生き方のタイプ」は
異なりますが、「己の理想とは何か?」を追求し、それにできるだけ忠実で
あろうとした点は共通点があります(⇒司馬作品の主人公になる“資格”?)
私にとっての新しい課題もたくさんありますが、この夏は、ちょっと意識的して
振り返る“間”も入れてきたいと考えた次第です。