学校教育で養成すべき「能力」とは?

先日、学校教育へのITの活用をテーマにしたセミナーに参加してきました。


中学・高校での活用の現状や今後の国の方針等に関する講演は想定の範囲内
いった程度でしたが、それとは別に、アメリカの小学校の教育を受けた中学生
のプレゼンテーションとそのお父さんの話があり、久しぶりに
“カルチャーショック”とでも言っていいような衝撃を受けました。


現在中1の彼は、幼稚園の年長から小3までアメリカの公立小学校で学んだ
とのこと。
アメリカの教育の特長について、
 ・(テーマを決めての)発表とディスカッションが多い。
 ・PCの使用が大前提になっている。
とコメントし、その「発表」について、パワーポイントを使った“実演”を
見せてくれました。
発表の内容は別として、「ものの考え方」をマスターしている様子には非常に
関心させられました。


その後、彼のお父さんから、息子さんが受けたアメリカの教育についての感想・
評価等についての話がありました。
たぶん、コンサルタントという職業からの分析なのでしょうが、教育については
“素人”のはずの彼の言葉は非常に刺激的でした。


結論として、
 「(アメリカの)普通の公立の小学校で最高の教育を受けた」
そうです。
アメリカ(もちろん、「彼が住んでいた地域の」でしょうが)の教育の特長と
しては、
 ・考える基本スキルを身につけることを追求する。
 ・題材として、「社会の最前線」とでも言うべき現実の題材を扱う。
 ・1ヶ月ごとに統合された大きなテーマを設け、時間をかけて好奇心を醸成し、
  「題材で遊ぶ」ようにして“スキル”を身につけていく。
がエッセンス(と、私は受け止めました)とのこと。


それと比べた日本の教育の現状については、
 ・日本の大学入試までの教育の内容は、「19世紀までの内容」である。
 ・「中学受験」は、子どもの知的進化(という表現を使っていらっしゃい
  ました)の上で、障害以外の何物でもない。
   *だから、息子さんについては、「ピークは小5の時」だそうです。 


ですから、この日米の教育の違いのトータルな結果として、
 「日本はアメリカに勝てない」
というのが彼の結論でした。


その後の懇親会で短時間ながらお父様と2人だけで話す機会を得、その後もなぜ
このような違いが生れるのかを考えていましたが、要は、「人間観」「能力観」
の違いが背景にあるのではないでしょうか。
どんな人間を「優秀」と評価し、その優秀な人間がもつべき「能力」とは何か
についての社会のコンセンサスが違うから、このような教育の仕組みの違いが
生れるのではないか、などと考え続けています。
そもそも、一つの社会の教育の仕組みやあり方といったものは、その社会に
おける「人間観」「能力観」のコンセンサスが反映しているはずだからです。


そうであるなら、今の日本に必要なのは、学校教育がモデルとしている
「人間観」「能力観」について、定期的かつ半ば強制的にに見直しを加えていく
「自動的な修正システム」とでも呼ぶべき仕組みが必要ではないでしょうか。


小手先ではない教育の本質論を、大いに議論していくべきと考えた次第です。