都道府県と市町村との関係はどうあるべきか?

都道府県というもののあり方・必要性について、考えてみたいと思います。


都道府県中二階論」なるものを聞くことがありますが、果たして都道府県は
本当に「中二階」なのか。


先月、新・地方自治フォーラム設立記念シンポジウムのパネルディスカッション
を聴講した際、一層この思いを深くしました。


このシンポジウムのパネリストは、
 ①浅野史郎 氏(前宮城県知事)
 ②木下敏之 氏(前佐賀市長)
 ③福嶋浩彦 氏(千葉県我孫子市長)
 ④吉岡広小路 氏(広島県三次市長)
の4人でした(50音順)。


シンポジウムそのもののテーマは「今後の行財政改革」だったので、昨年の
「知事会」を彷彿させるように、「国と地方」を主とする浅野氏の議論が
全体をリードした感がありました(あくまで私の印象)。


しかし、終了後の会場との質疑応答の際、私の質問に関しては、議論の趣が
ガラッと変わったと思います。
私の質問の趣旨は、
「様々な事業において、都道府県の意向や権限が、市町村とぶつかることが
 ある。例えば、教育などに関して積極的な提言をされる市町村長の方の話
 を聞くと、特にこの点が話題になる(市立小中学校といっても、人事権を
 はじめとした重要な権限の多くは県にあるので、市の“自主性”は発揮
 しにくい)。せっかく知事経験者と市長経験者(現職も含めて)がいる
 ので、それぞれの立場からこの点についてお考えを伺いたい」
というものでした。


この質問をしたところ、「市長側」の3人が俄然(?)議論をリードした
雰囲気になり、例えば、
 「自分は県会議員をしていたからわかるが、県は不要。中二階みたいな存在
  だ」(吉岡氏)
 「市内にあるNPOに、市とは別に県が補助金を出すが、余計なことはしない
  でもらいたいという思いだ」(福嶋氏)
 「市内にある県道について、市側の考えから交渉したが、県は市の意向は
  考慮しなかった」(木下氏)
などの意見が出され、これまでの議論で“優位”にあった浅野氏が、“追及”
される側になったような雰囲気になりました。
(別に浅野氏を「追い込む」ことを目的にこの質問をしたのではありません。
 私にとって同氏は高校の先輩(仙台二高)に当り、「尊敬すべき」存在だと
 心底思っています)


これらの一連の議論を聴いていて、次のようなことを考えました。
・「地方自治体」と一口に言うが、やはり“主体”は市町村であるべきだ。
・そう考えると、都道府県という存在は、一見“確固たる”存在に見えるが、
 実は「バーチャル自治体」と言えるのではないか?
・最初から「都道府県」の権限・あり方を決めずに、関係する「市町村の意向」
 をもとに、それらを決めた方がよいのではないか?
 例えば、複数の市町村にまたがる広域的な事業が必要なら、それに応じて
 「都道府県的なもの」を設置すればよいのではないか? 
 (現行制度で言えば、「一部事務組合」的なもの?)
・場合によっては、現行の都道府県の枠組みを超えた市町村連携も十分にあり
 うる(例えば、今回のパネリストの木下氏は、佐賀市の将来を考えたときに
 「福岡経済圏」を射程に入れていたようであり、そうなると、現行の枠を
 超えた「市町村連携」が当然必要になる)。


しかし、上記の私の考えは、今回のパネリストのような、「意欲・能力に優れた
市長」がいてこそ成り立つものでしょう。
「県というものは、市町村より大きな“金庫”をもっていて、そこから補助金
 を引っ張り出すことが自分の県に対しての使命だ」などと考えている市長村長
(東京で言えば当然「区」も入ります)では、このような「市町村自立型の
都道府県のあり方」は理解もできないでしょう。


自身の課題として言えば、「都と23区の関係はどうあるべきか?」という
差し迫ったテーマを考える際のヒントの一つになったと考えています。