首長の多選について−増田知事の4選不出馬表明から考えたこと

一昨日のニュースで、増田・岩手県知事が4選不出馬表明をしたとありました。
増田知事と言えば「改革派首長」として有名であり、様々な事情があったにせよ、
“惜しい”気がします。


「首長の多選」については、これまでも考えることがありましたので、少々
触れてみたいと思います。


1.「首長の多選」はいけないことか?

 一概には言えませんが、「有能で潔白な人間」ならば、その自治体の住民
が選択する限り、多選も構わないのではないでしょうか。
 問題は、福島県の前知事のようなケースであり、ああいったことに発展
しない限りは、住民の判断に委ねるべきです。
 ただ、「有能」は割と判断できますが(評価に一生懸命な“専門家”も
たくさんいますから)、「潔白」はなかなか情報が出てこない。
 また、「有能」「潔白」との住民の判断も、4年の任期中に大いに変わる
可能性がある(特に、多選になるほど「期待」の度合いが小さくなるでしょう
から)。
 こう考えると、徹底した情報公開と直接民主制的なシステムの整備
(リコールや政策への住民投票など)が「多選を認める条件」として必要に
なると考えます。


2.「多選批判」を国政の権力闘争の道具にすべきではない!

 純粋な多選の是非論とは別に、最近の首長選(特に知事・政令市長選)は、
参議院選に勝利するための“道具”と位置づけられているのではないで
しょうか。
 最も露骨に感じられるのは、民主党の方針です。
 「(国政選で勝つために)相乗りはしない」とのこと。
 一見、カッコよさそうに見えますが、地方の政治に国政の政争を持ち込もう
としている点、「地方自治が大事」という日頃の主張と明らかに矛盾している
のではないでしょうか。
 増田知事もこのような傾向の“犠牲”になったような気が少々するのは、
私だけではないと思います。


3.改革派首長の「やめた後」について

 以前から、「こんなことが実現できたらいいのに」と考えていることです。
 最近、いわゆる改革派首長の方々のお話を伺う機会が少なくないのですが、
この方たちも2〜3期でやめると考えると(改革派ほど多選は気になる!)、
どうしても惜しい気がします。
 確かに、以前より、改革派(有能という意味での)の首長の数が増えた
のは間違いないでしょうが、全国的に見れば、改革派は圧倒的に少ないはず。
 大部分は、旧態依然たる「普通の首長」です。
 「普通の首長」に任せていたのでは、日本全体として見た場合、自治体の
改革スピードはどうしても遅くなります。
 そこで、一旦もともとの自治体を“卒業”した後、他の自治体の
「雇われ首長」のような形で、他の自治体でその能力を発揮してもらうこと
はできないか。
 今の改革派首長の方々が、2〜3期ずつ、何十年かに渡って全国各地の
自治体を「改革」していってくれれば、日本全体としての改革スピードは
間違いなく上がるはずです。
 「改革派首長の人材派遣会社的なもの」ができないか、そんなことを
夢見ながら、現状を見ているところです。