チンギス・ハンはどんな人間だったか?

最近、日経新聞を読む時、一番最後のページから読み始めるのがなんと
なく習慣のようになっています。


お目当ては、連載小説の「世界を創った男 チンギス・ハン」(堺屋太一)。


まあ、堺屋氏流の独特の“理屈っぽさ”に少々じれったくなることもあり
ますが、これも「客観的な状況解説」の一種と思えば、十分思考の材料に
なる。
また、土着のチンギス・ハンたちに対し、異質の存在であったはずの
交易商人や旅芸人たちがなぜか関西弁でしゃべっていますが、これも、
「がめつくてお笑いの要素をもっているのが関西人かも?」と考えれば、
違和感がなくなってくる。
こんな感じでいつの間にか親近感の覚える存在になりつつあります。


チンギス・ハンも人間である以上、結果として残った“偉業”は、彼の
一つ一つの日常要素の積み重ねによるはずなので、それをいかにリアル
に描き出すかがこの連載小説の醍醐味になるでしょう。
世界征服的な事業にしても(彼の代ではまだそこまでいきませんでしたが)、
生涯のどこかで、遊牧民的な日常の思考を超える“何か”が、彼の内部
に起こったはずであり、それをどう描くか、に期待をもっています。


ここ何日かの記述はどうもその“何か”に密接に関係しているようです。
今日の書き出しにも、
 「人間の生涯を決める選択は、大事件や目立った行事の際に行われると
 は限らない。むしろ、記録に残らない平凡な日々の仕事や人間関係の中
 で育まれた思考や習慣こそが、重大事件での決断をさせるのである」
とあり、小説全体の重要な“インフラ”になるのでは、などと独り考えを
めぐらしているところです。
資料に記載のない部分をどう描ききるか。
作者の腕の見せどころでしょう。


自分自身にとって「何事かが残る作品」になることを期待しながら読んで
います。