教育再生-キーワードの一つは「いつでもどこでも選べること」

最近の「教育再生」の議論について一言。


様々な“有識者”の意見等が取り上げられていますが、どうも精神論
や「どういう教育法がよいか?」がクローズアップされている気が
します。しかし、その面で議論を進めても、有効な成果は得られない
のではないでしょうか。


例えば、「教師の心構えはこうあるべき」などの主張がありますが、
それはそれで立派な考えとしても、全ての教師に同じ精神論を押し
つけるなど土台無理だし、そもそも全教師に適用できる精神論など
あるはずがないでしょう(あるとすれば、「子供を大事に」などと
いった毒にも薬にもならないお題目ぐらい?)。


また、例えば、「百マス計算」がいいという人もあれば、そうで
ない人もあり、お互いにそれなりの“成果”を上げているとすれば、
「どちらか一方を、制度として押し付つける」ことはできない
でしょう。


その意味で、様々な教育法等が存在することを前提に、「どういう
制度にしたら全体としてうまくいくか?」という仕組み論の議論が
もっと必要だと思います(バウチャーなどはこの範疇の議論だと
思います)。


私が現在望ましいと考えている「仕組み」の一つは、「いつでも
どこでも選べる」です(入学前だけでなく、入学後にも学校を
自由に選択できること)。


学校選択制はよしとしても、「入学する時だけ選べる」では“選択”
のメリットは非常に小さなものです。
そもそも、入学する前の学校についての情報など僅かなものだし、
入学後、“たまたま”担任となった先生や“たまたま”同じクラス
となった同級生などによって、自分にとっての学校評価は大きく
変わってくるはずです。
ですから、一旦「自分にはこの学校がよい」と思って入ったとして
も、卒業までの間で「学校を変えたくなる」ことは至極“当たり前”
のことです。
それを「ごく普通のこと」として認めるようにすればよいのでは
ないでしょうか。
「入学後に生徒に見放された」学校は生徒数が大きく減るでしょう
し、入学時に人気がなくても、その後に人気が上がって生徒数が
増える学校も出てきます。
こういった「各学校を常に市場原理にさらす」仕組みができれば、
学校が「手を抜く」ことができにくくなり、学校間の“真剣勝負”
が常態化すると思います。


この仕組み、学校間競争だけでなく、今話題の「いじめ問題」にも
効果があると思います。


今のいじめ防止の議論では、「教育やペナルティーによって、生徒
にも教師にも、いじめをやってはいけない」と教え込むことを主眼
としているようですが、そんなことは土台無理なのではないでしょう
か。
たとえ“教育”によっていじめが消えたとしても、そんな表面的な
「仲良し状態」が本当にいじめられた側にとってよいのかというと、
そうではないと思います。
根本的に現状を変えるには、「学校を変え、友達を変え、状況を
変える」ことだと思います。
「環境選択の自由」を大きく認めれば、今の環境に適合しない自分
を責める必要などなくなると思います。


いじめ問題については、たかが“今の”教師やたかが“今の”友達
で自分を苦しめる必要はない、こういった“常識”とそれを生み出す
仕組みをつくるべきだと考えます。