“公共空間”としての「道」を考える

hino-katsuaki2006-07-08

写真は我が家の近所の道路です。


普通の道(みち)ですが、何か描いてあるのは、子供らのお絵描き
(落書き?)です。


実はこの道、近所の有数な「コミュニケーションスポット」です。
車が通ることが少ない(ほとんどない)ため、通行中に知り合いに会えば、
立ち止まって話す場所になる。
また、買物帰り等、情報交換の舞台になる。
風通しがいいので、お年寄りなどがイスを持ち出しての「涼み場所」にも
なる。
そして、午後から夕方にかけては、子供らが集まってにぎやかな遊び場所
にもなる。
夜は夜で、今の季節だと、何家族か集まっての、「臨時花火大会」の場所
にもなる。
という具合に、貴重な“公共空間”になっています。
 *本当は子供や大人が集まっている風景を載せたかったのですが、この
  ブログは「公開の場所」のため、近所の方々の安全・安心を考え、
  人は抜きにしました。


よく考えると、道は最も身近な公共空間です。
だれも集まらないような公園・児童遊園などをつくったり、敷居の高い集会
施設をつくるより、「道を活かす」方法を考えた方が、よっぽど安上がりで
実効性が高い気がします。
(例えば、時間や場所・用途を定めて、恒常的に道の利用を認めるなど)


意外に有効な地域活性化策になるかもしれません。


因みに、正直言うと、私の「“道”体験」はあまりありません。
子供の頃を過ごした仙台市の郊外は、ちょうど、山を切り開いて団地を
つくっているときであり、おそらく田舎よりも遊び場が豊富でした。
山が近いから自然はあるし、宅地開発の“最前線”故、切り崩された
崖などから、化石も“発掘”できる。
つまり、遊ぶ土地がいっぱいあったので、道で遊ぶ必要などありません
でした。


「公共空間としての道の活用」は、都市部における課題でしょうか。