「黒澤映画」について

 一昨日、TSUTAYAの半額セールがあったので出かけて行ったのですが、
黒澤明「乱」を借りることにしました。


 日経新聞・朝刊の最終面に「私の履歴書」というコーナーがありますが、
昨年11月は、仲代達也が執筆しており、それを読んでから今まで頭の中に
引っかかっていたことによります。


 私は黒澤映画が好きです。
 もちろん、1961年生れですから、「七人の侍」や「生きる」「用心棒」
椿三十郎」などを公開時に見ていた訳ではありませんが、中学から高校
にかけて見たときは、その迫力・面白さに圧倒された記憶があります。
 その延長で、「影武者」が公開された時に観にいきましたが(公開年を
今インターネットで調べたら、大学受験浪人の真っ最中でした)、
何か拍子抜けした感があり、それ以後の黒澤作品を見る気がしなく
なりました。
 

 そんな訳で今回「乱」を初めて見たのですが、“期待通り”(私に
とっては面白くなかったということ)と言ってよいでしょう。


 以下は、素人の映画論です(“暴論”と言えるかもしれませんが)。


 初期の黒澤作品は実に面白いと思います。
 見ているこちらが引き込まれるような迫力・役者の見せ方などが
感じられますが、世間的には高い評価を得た「影武者」や「乱」では、
どうもそれらが感じられません(と、私は思います)。
 各作品を見ていて以前に感じたのですが、1963年の「天国と地獄」
までは、面白い作品ですが、1970年の「どですかでん」以降はそう
ではないと思います(1965年の「赤ひげ」は微妙ですが、たぶん前者に
属するのでしょう)。


 この理由は何かをずっと考えていたのですが、監督自身の「視点」と
言うか、「価値観」「大切に考えること」が変わったからではないで
しょうか。


 極端な見方かもしれませんが、「天国と地獄」までは、映画を観る
側の気持ちを第一に考えていたような気がします。
 おそらく、「こうみせたら観る人は喜ぶのではないか?」という
視点が第一になっていたからこそ、「椿三十郎」などの娯楽性の強い
映画が生れてきたのでしょう。
 “娯楽”とは言えないのでしょうが、「生きる」の感動もそうだと
思います(映画を観て涙を流したのはこの作品が初めてです)。


 「どですかでん」以降の作品についても、もちろんこのような視点が
あるのでしょうが、私に感じられるのは、「芸術を完成させよう」という
芸術家的視点です。
 「どういう映像が“芸術的”か?」といった視点が中心になっている
のではないでしょうか。


 「観る側が(黒澤監督の中で)二番目に置かれている」
 そんな印象の違いが、私にとっての面白さの違いになっているのでは
ないか、と考えています。
 

 以上は、勝手な「素人映画評論」です。