「明治神宮の森」から考えたこと

先日、明治神宮の森についての話を伺う機会がありました。


前から参加している「森の駅推進検討会」において、明治神宮主幹の沖沢幸二氏
をお迎えし、明治神宮の森の成り立ちと現状についてお伺いするというものです。


私は全く知らなかったので驚いたのですが、あの「神宮の森」、植樹によって
つくられた人工の森とのこと。
明治天皇・皇太后がお亡くなりになった後、お二人を祭る明治神宮が造られた
ということは聞き知っていましたが、その際、「神社の杜」としてつくられた由。


全国から数多くの勤労奉仕のボランティアが集まり、これまた全国から(北は樺太
から南は台湾まで)10万本を超える木が“奉納”され、「100年後に自然の森として
育つように」との“設計思想”のもと、照葉樹を中心とした植樹が行われたのです
が、この“設計思想”、見事に実現していると思います。


さて、この成り立ちだけでなく、森そのものを考える上で、沖沢氏の話は興味深い
ものでした。
私の森に対する認識は、大ざっぱに
 ・「里山」的に、人もそこに住む動物も、「森の豊かさ」を享受できる森
 ・人を寄せつけない、原生林のような森
 ・上記の他、ただ複数の木が集まっているだけの無機質な森
ぐらいのものでしたが、この「明治神宮の森」は、「人が手をかけた豊かな自然」
でありながら、人間(意図的かどうかは別として、結果的には人間以外の他の哺乳類
なども)の立ち入りを厳しく制限する「整然と管理された神聖空間」とでも呼ぶべき
コンセプトが基本にあるようです。


考えてみれば当然かもしれませんが、「神社の杜」である以上、そこに醸し出される
自然には、現実の人間の影響がない“清浄”が必要なのでしょう。
この森の今後のイメージとして(幾つかある中の一つのようですが)、沖沢氏は
仁徳天皇稜のような森」を挙げておられました。


もう一つ、何日かを経て、ふと考えました。
この明治神宮の森、「何十万・何百万もの人間の思いが詰まった森」でもあるのでは
ないでしょうか。


沖沢氏によると、


 当初全国から奉納された木については管理台帳のようなものがあったが、関東大震災
 の際に、宮内庁に保管されていた関係で焼けてしまった。そのため、その後わからなく
 なってしまった。
 後年、全国各地で古い書類などが見つかることがあり、その中に明治神宮への奉納が
 書かれていたため、「わが村が奉納した木は今どこにあるか?」といった類の問い合わせ
 が数多くあった。


とのことです。
この話からすると、奉納された木には、「金がある個人が出した木」だけでなく、「幾人
もの人間が、少しでも役立ちたいと、お金を出し合った木」も相当あるのではない
でしょうか。


・一本の木に多くの人間の思いが籠められ、そのような木が10万本も集められたこと。
勤労奉仕に10万人もの人間が集まったこと。
このような点で、
 「多くの人間の思いが詰まった森ではないか?」
と考えた次第です。