改めて感じた「仙突の“凄み”」

今日、出光美術館で開催中の「水墨画の輝き」展を見てきました。


明日で終わりだということで、行こう行こうと思っていた“懸案”を解消しよう
とした訳です。


さて、最大の収穫(?)は、水墨画における仙突の位置づけが、自分なりに
何となく認識できたことです。
*仙突
  ↓
 http://www.idemitsu.co.jp/museum/collection/introduction/sengai.html
http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/sengai/


私は、自分で絵を描くわけではなく、ただ単に「好き勝手に見ている」人間
です。
ただ、江戸後期の禅僧である仙突の絵が好きで、その延長みたいな感覚で
水墨画を見ています。
これまでは、「好きな仙突」が中心の展覧会を見ることがほとんどだったので、
「メインが仙突」(or「準メインが仙突」)という場合が多かったのですが、
今日は、「全41作品中、仙突は1点のみ」という条件下だったので、かえって
水墨画における仙突の特徴」がわかった気がします。


水墨画は白と黒という、極めてシンプルな中に作者の「描きたいこと」を
込めます(と、思います)。
色(カラー)を使わない分、たぶん、「描きたいこと」を整理・選択の上で
描くことになるのではないでしょうか?
そのため、写実性よりは精神性がより強く醸し出されると感じます。


そんな水墨画の中でも、仙突の作品は、特に余白が多い。
つまり、余計な描写を省き、「描きたい中心」にそれだけ精神を集中するはずです。
筆による1本の線・1点が、それだけ重要な意味をもって、見る者に“主張”
してきます(と、感じます)。


今日の他の水墨画もそれなりにシンプルだと思いますが、「カットする度合い」で
言えば、仙突には及びません。
だから、逆に「伝わってくるもの」が、ストレートに感じられた気がしました。


という訳で、雪舟俵屋宗達尾形光琳といった“巨匠”と仙突の“違い”がよく
わかった「体験の一日」でした。