NHKスペシャル「公園から遊具が消える」を見て

今日のこの番組を見ての感想です。


話の筋は、
 公園の遊具で遊んでいての事故が起きたことで、全国的に公園にある遊具の
 撤去が進んでいる。
 このままでは子どもが遊べなくなる。
 安全で遊びがいがあり、しかも心身の訓練(?)に役立つ遊具を開発する
 必要があり、そのためのプロジェクトを進める人たちの取り組みを追う。
といったところです。


確かに、遊ぶ場所のない都会において、数少ない「遊びのスペース」に遊具
を置くことは非常に重要なことです。
でも、危険でない遊具を大人がわざわざ開発してやる姿を見て、考えさせ
られました。


そもそも、危険か危険でないかを判断する能力を養うことが必要であり、
もともと子どもにはそのようなアンテナがあるはずだし、それを鍛えること
も重要な課題だと思います。


私は仙台出身で、世間で言う“田舎”ではありませんが、ちょうど宅地造成
が進行中の地域・時期にいたため、山などの自然や切り開かれた崖など、
自然のままよりも遊び場が多かったと思います。
だから公園の遊具で遊んだ記憶はほとんどありません。
多くの遊び場がある中、自分で手におえるところとそうでないところに
ついては、自然と見分けることができるようになっていったと思います。
だから、そのような「環境的防衛本能」とでもいうようなノウハウは
磨く必要があると思います。


しかし、だからといって、都会の危険な遊具をそのままにしておく訳には
いかないと思いますし、このプロジェクトの意義を否定するつもりもあり
ません。
ありきたりの感想ですが、「今の子どもを取り巻く環境は難しいなあ」と
思っただけです。


でも、ただ単に「大変だ」と言っていてもしようがないので、考えて
いますが、やはり、都会の子どもに「田舎暮らし」の機会をいかに与える
かが具体的な課題になるでしょう。
「いかに安く」ということになれば、都会と地方の子ども・家庭を一定
期間“チェンジ”するホームステー的なものになるでしょうか。


もしこれが制度に近い形で大規模にできたとすれば、お互いの生活費は
基本的に同程度だからかからないとして、往復の交通費ぐらいが大きく
かかる分でしょう。


物見遊山的な修学旅行に金をかけるなら、「違った環境の中での生活
体験」にお金を使う方がはるかに有効ではないか。
そんなことを考えました。