「教育について」の日野の投稿(2005年4月分)

 昨年4月のことになりますが、教育についての専門紙の一つ
日本教育新聞」に、「学力向上」についての私の投稿記事が
掲載されました。


 ちょっと前のことですが、インターネットでタイトルをご覧
になった方からの質問もありますので、改めてこのブログに掲載
します。


 既にご存知の方もいらっしゃると思いますが、是非お読み
下さい。


 投稿の際には、下記のように「『学力向上』のために」という
タイトルにしたのですが、紙上では「『消費者の声』ぶつけよう」
というタイトルになりました。


以下、投稿内容
  ↓


   「学力向上」のために


 「学力向上」について触れたい。ここではこの一点に絞り、少々
極論(?)も示す。もっとも、以下はまだ“雑感”のレベルであり、今後
制度論等を交えて議論していくつもりである。


1.「教師」について


 自身の話で恐縮だが、小学六年の時、「『授業』はなぜ“授(さず)ける”
なのか。“受(う)ける”でよいではないか。先生はそんなに偉いのか?」
との疑問を抱いた。
 当時の担任がダメ教師だった訳ではないが、なぜかこんな疑問を
抱いた。しかし、今考えるとこの疑問、核心を衝いたものと思う。
 当り前だが、教師という存在は、「特に優秀」でもなく「特に人格者」
でもない。誤解を恐れずに言うと、「その程度の存在」に成果を求める
には、相応の工夫・仕組みが必要である。
 受験産業に携わった経験から言うと、一番よいのは「お尻をたたく」
仕組みである。それも、生徒・保護者という
 消費者から「たたく」のが効果的である。近年、学校評価が話題だが、
もう一歩進め、「生徒・親による個別教師の授業評価」を盛んに行うべき
である。こう書くと「素人にできるのか」との疑問が予想されるが、可能
であろう。実際、小中学校レベルの授業をこなすには、特に高度な
知的レベルは要らない。重要なのは、プレゼンテーションとコミュニケー
ションの能力である。
 我々“素人”は、思い切って消費者の声をぶつければよい。
 もう一つ、「教師を選ぶ」仕組みがあるともっとよい。
 私が初めて予備校講師となった年の夏期講習で、初日に百人以上
いた生徒が三日目に約三割になってしまったことがある。
 正直、あれはこたえた。
 「選ぶ自由」は「効果的なお尻たたきの仕組み」と言える。


2.「家庭」について


 前述の通り、教師は“大した存在”ではない。従って、学力向上という
成果を得るには、家庭の側の努力も不可欠である。
 近年、学習の意欲・習慣の問題が話題だが、親に読書習慣や学習
姿勢がないのに、子供に正反対を期待しても無理である。
 子供の学習サポートや環境づくり等について家庭にも一定の義務を
負わせ、その履行があった者に対して、学校が学力の品質保証義務
を負う。こんな仕組みもあってよいのではないか。


3.「新しい仕組み」のために


 以上だけでなく、何か新しいことをしようとすれば、既存の制度が“壁”
になりがちである。
 そこで何らかの“飛び道具”が必要だが、その手段として構造改革特区
に注目している。以前、友人と共同で 「準区立高校」なる特区提案を
した。一般の区立中学の生徒が、私立並みの先取り授業を教科毎に
柔軟に受けられるよう提案したものである。
 新しい試み大いに取り入れ、知恵と意欲を凝縮した“教育解放区”を
築きたいものである。